130113
フィリピン研修Z
沢山の川を歩いて渡った私たちは、ついに目指すマンヤンの集落に着きました。着くとすぐ板張りのちいさな家の壁の一か所が切り取られてあるだけの窓から、 お婆さんがじっとこちらを注視しているのが見えました。きっと見かけないよそ者に警戒していたのだと思います。
私たちはその足で直接学校に向かいました。学校は一クラスのみで、そこに1年生から4年生の子供たちが集まって授業をしていました。各学年10名ほどの生徒で、 1年生から順番に、2年生、3年生、4年生と縦に並んで座っていました。
教室の後ろに3畳ほど仕切られた部屋があり、先生はそこで生活しておられるとのことでした。この学校の先生は今年赴任してきたばかりで、このひとりの先生が 全学年を教えておられました。
先生によると毎日1年から4年生までの予習をしてくるだけで大変だとのことでしたが、想像に難くありません。このような不便なところで、このような過酷な 精神的負担を強いられるこの先生が、「やめないように祈ってて下さい」と、学校を支援しておられる飢餓対策機構のSさんから小声で耳打ちされました。
ここに学校があることによって、小さい子供たちが遠い町まで川を渡って登校しなくて良くなったのですから、またこの学校でさえ、まだ山手の方から2時間半ほど 歩いてくる子がいるということですので、ぜひ続けて欲しいと思います。
ここに学校がないと、多分ほとんどの子供たちが学校に行くことはないだろうと思います。また、飢餓対策の支援で毎日給食が備えられていることも彼らが学校に 来るのを後押ししているのに間違いないと思います。私たちの募金がこのような形で有効に使われていることを嬉しく思いました。
学校が終わって子どもたちが庭で楽しそうに遊んでいる姿を見て、子供たちの笑顔に励まされる思いがしました。美味しい物を食べたり、綺麗な家に住んでいたり、 可愛いおもちゃを持っていたりする日本の子供たちに比べて、決して恵まれた環境とは思えない、この子供たちのはじけるような笑顔と輝きは、私達に「わたしたち とっても幸せだよ」と言っているように思えました。
その日はその教室に、牛車に乗せて持ってきたマットを敷き、肌布団を被って休みました。もちろん電気は来ていないので、明かりと言えば薄ぼんやりと辺りを 照らすろうそくの灯りと、時々トイレに向かう人の懐中電灯の明かりだけで、夜が明けるのが待ち遠しく感じられました。
明くる日、村の人々に別れを告げて、山を下り、川を渡ってサンアンドレスに向かいました。そこで1泊して、明くる日曜日私たちは二手に分かれて近くの教会に 出席させて戴きました。
それから、皆で現地のバス、ジプニ―に乗ってカラパンの港に帰って来ました。そこで、私は同行の皆さんと別れを告げて、国際飢餓対策のSさんにバタンガスまで フェリーで送って戴きました。
それからマニラに帰り、明くる日マニラの空港から、同行した皆さんより一足早く、日本に帰って来ました。スケジュールさえ許せば、最後まで皆さんと一緒にさらに 研修して回りたかったのですが、後ろ髪を引かれる思いで一人帰国しました。
しかし、今回の経験は今後の学校関係やその他での飢餓の授業や講演にも大いに役立つものと確信しています。今回このような良い経験が出来たことを心から感謝して フィリピン研修報告を終わらせて戴きたいと思います。
「この人は散らして、貧しい人々に与えた。その義は永遠にとどまる。」と書いてあるとおりです。蒔く人に種と食べるパンを 備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。あなたがたは、あらゆる点で豊かになって、 惜しみなく与えるようになり、それが私たちを通して、神への感謝を生み出すのです。Uコリント9:9〜11