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130203

恵みが注がれるところ

私には長年お世話になっている行き付けの散髪屋さんが有ります。この地に約18年前に引っ越して来たのですが、その前から通っている理容店で、今では自宅から 車で30分ほどかけて散髪に行きます。

その散髪屋さんはご夫婦でされておられるのですが、お二人ともろうあ者なので、お話をすることはできません。ですから、多分私が誰で何処から来ているのかも 知っておられないと思います。

最初行き始めた頃は、我が家は貧しく、散髪代も惜しいほどの生活だったので、行く度にご主人に「短く刈ってください」とジェスチャーを添えて話しました。 するとご主人も親指と人差し指で「短くですね」とジェスチャーで答えて、カットしてくれました。

そして、数か月して神がぼうぼうに伸びると散髪に行って、また「短くして」とジェスチャ−して、短くしてもらうということを繰り返していました。

しかし、今では1か月に1回程度は行けるようになったので、普通にカットして戴けるようになりました。しかし、それでもご主人が、散髪前には必ず 「どうしますか」とジェスチャーしながら聞いてくれます。それに答えて私が「普通に」と言うと「分かりました」と頷いて散髪を始められます。

ここではご主人が散髪をしてくださって、そのあと奥様が髭剃りを眉毛の上下や耳に伸びた毛までしてくださり、そして鼻毛をカットして、耳掃除まで してくれます。

それからご主人が洗髪してくださって、その後私にとって至福の時間のマッサージが始まります。頭のてっぺんから始まり肩や背中を入念に揉んでくださり、 両手の先まで揉み解してくださいます。たいへん上手で、終わった後は全身が軽くなったような気がします。

そして、最後に整髪してくださって、散髪が終わります。散髪をしていただきながら、このご夫婦に神様の祝福があるようにとお祈りさせていただきます。

聖書の中に次のような記事があります。イエス様の一行が道を歩いていると生まれつきの盲人が道端に座って物乞いをしているところに出くわしました。弟子たちは イエス様に「先生、彼が盲目なのは誰が罪を犯したせいですか。両親ですか、本人ですか」と聞きます。

この世界は痛みのある人の痛みを考えないで、ただそのような人を自分の関心の的にしてしまいがちです。いやともすると、宗教の名のもとにそういう人や両親を 責め、さらに苦しみを増すことさえしてしまいます。

イエス様はそのような弟子たちの心無い質問に「本人でも、両親でもありません。ただ彼の上に神の業が現れるためです。」と答えられました。

神様の見方は人間の見方と全く違います。神様は痛みのあるところ、不自由のあるところに寄り添い、ともに痛みや苦しみを負って解決してくださる お方なのです。

聖書を読むと、神様は心無い人々の中傷によって痛んでいる人、苦しんでいる人の祈りに目を向けて助けてくださいます。また、問題に直面し、壁にぶつかり 八方ふさがりになって苦しんでいる人の近くにいて、祈りに答えて問題を解決したり、問題を克服する力を与えてくださったりしてくださるのです。

イエス様はこの盲人に対して素晴らしい御業を行い、祝福を与えられました。

イエスは、こう言ってから、地面につばきをして、そのつばきで泥を作られた。そしてその泥を盲人の目に塗って言われた。 「行って、シロアム(訳して言えば、遣わされた者)の池で洗いなさい。」そこで、彼は行って、洗った。すると、見えるようになって、帰って行った。 ヨハネ9:6〜7

あなたは問題を抱えていませんか。どうしたらいいか途方に暮れていることはありませんか。「主なる神様、このような問題を抱えています。助けてください。」と 祈って、信じて神の業を待ってください。主が近くにおられて、あなたの問題を共に負って下さることを体験できるでしょう。


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