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喜び入る町

早いもので、また1年が過ぎようとしています。わたし達が喜入町に来てからも、もう12年が過ぎました。今では、ここでの 生活にもすっかり慣れ、町の人たちに受け入れられ、毎日楽しく生活しています。

私たちの住む喜入町はJRの鹿児島中央駅から、指宿枕崎線に乗って、雄大な桜島や青々と広がる錦江湾を左手に見て南へ約50分 来た所、有名な温泉地である指宿との中間地点に位置します。

私たちの教会はそのJR喜入駅から直ぐの所に建っています。喜入駅は朝の通勤通学時と夕方の帰宅時とは、たくさんの乗降客で 賑わいますが、そのほかの時間帯は比較的静かで閑散としています。それでも常に4・5台のタクシーが駅前に止まって客待ちを しています。

そのような喜入駅もこの時期になると、乗降客はさほど増えていないのににもかかわらず、にわかに活気づいてきます。それは全国の 受験生から入場券の申し込みが殺到するからです。多い人は100枚単位で申し込んでこられるそうです。

それは「喜び入る」と言う地名にあやかろうとして買い求められるものと思います。藁をも掴もうとする切迫した受験生の思いは 伝わってきますが、果たしてどれほどの効果があるものか、喜入駅の方々には申し訳ないですが、はなはだ疑問です。

3男が高校受験のとき、友だち4人で出かけました。喜入駅で電車に乗ろうとするとひとり来ません。結局そのひとりのせいで、 息子たち3人も電車に乗り遅れてしまいました。後から来た彼は喜入駅の入場券を買っていて遅れてしまったそうです。田舎の小さな 町ですから直ぐに次の電車が来るわけではありません。結局4人は不安な思いで受験に臨むことになってしまいました。

受験生の藁をもすがりたい気持ちは分からないでもありませんが、それが果たして効果のあるものかどうかを見極める目も必要だと 思います。「鰯の頭も信心から」と日本人は非常に信仰深い面を持っていますが、信心の対象が何かをしっかり吟味しないで何でも かんでも信仰の対象にするのは誤りだと思います。一時の安心や気休めのための信心はかえってマイナスになりかねません。

天を創造した方、すなわち神、地を形造り、これを仕上げた方、すなわちこれを堅く立てられた方、 これを形のないものに創造せず、人の住みかに、これを形造られた方、まことに、この主がこう仰せられる。「わたしが主である。 ほかにはいない。」イザヤ45:18
わたしを誰になぞらえて比べ、わたしを誰と並べて、なぞらえるのか。袋から金を惜しげなく出し、 銀をてんびんで量る者たちは、金細工人を雇って、それで神を造り、これにひざまずいて、すぐ拝む。彼らはこれを肩に担いで運び、 下に置いて立たせる。これはその場からもう動けない。これに叫んでも答えず、悩みから救ってもくれない。 イザヤ46:5〜7

天地を造られたまことの神様が、私たちに「わたしに祈れ、わたしに頼れ、わたしはあなたを助け出そう。」と言っていて くださいます。そのまことの神様を差し置いて、力にもならない他のものに頼るのは愚かなことです。

わたし達が真に頼るべきお方は、ただお一人、天地を造られた神様だけです。素直に「天の神様。わたしがベストを尽くせるように 助けてください」と祈ろうではありませんか。

また、わたしもこの町が、真に喜び入る町になるように、豊かな祝福と平安を与えてくださる神様に祈りつつ、これからも働いて まいりたいと思います。


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