120108
妻の同窓会
妻の中学の同窓会が還暦を機に彼女の出身地の福岡県豊前市で2日の5時から行われるという事で、当日の朝二人で出かけました。まだ2日だからUターンラッシュに あう事はないだろうと思いましたが、万が一を考えて、朝8時過ぎには家を車で出発致しました。
出発時の外気温は4度と低めだったのですが、ここ鹿児島での最高気温の予想が10度を超えていたので、その内温かくなってくるだろうと思いつつ九州高速道路を 走らせました。しかし、九州自動車道はえびの市から八代辺りまでは、九州の尾根の山上を通るので、気温が4度から一向に上がる気配はありませんでした。
人吉・八代間はトンネルが23も連続するので多少うんざりしますが、長男が高校生の頃、この23のトンネルを通過するたびにその名前を順番にすべて覚えていった 時のことを二人で懐かしく思い出しました。その時、私が「そんな無駄なことに頭を使うのは止めなさい」と言ったのですが、彼もよっぽど退屈していたのだろうなと 話しながら通りぬけました。
しばらくはなかなか気温が上がる様子はなかったのですが、それでも熊本あたりまで来ると薄い日が射すようになり何とか7度ぐらいまでは上がってきました。 しかし、妻が突然「福岡の方は雪で通行止めになっているって、高速道路の案内板に書いてあったよ。」と言いました。
上天気に半信半疑で車を走らせて、熊本の玉名あたりに来た時、私も「広川から太宰府間は積雪のため通行止め、15キロの渋滞」との案内をはっきり確認しました。 さあ大変です。広川で昼食の予定にしていたのですが、渋滞だったらいつ食べられるか分かりません。とりあえず、次のパーキングエリヤに入って昼食にすることに しました。
山川という小さなパーキングエリヤで昼食を取りながら、これから先の計画の立て直しを行いました。いつもは広川を通って、鳥栖まで行って大分高速道路に入り、 日田まで行って、そこで高速をおり中津の方に向かうのですが、広川から先に行けないばかりか、広川までも渋滞で進めないとなると、早めに高速を降り一般道路に入り、 久留米まで出て、日田に向かうほかないと思いました。
そこで、柳川インターで高速を出て一般道に入りましたが、一般道も高速から降りた車で大渋滞しており、車はゆっくりゆっくりしか進めません。このままでは妻の 同窓会が始まる5時までに豊前市に着くことなど到底できません。
私の内にはどんどん焦りが出てきます。そして、時計を見るとすでに1時半を回っています。妻に「どこかJRの駅に送るから、そこから電車で豊前に向かった方が 良いかもしれない。このままだと同窓会に間に合わないかもしれない。」と言いましたが、妻は「その時はその時、1泊して帰ってきたらいいじゃない。」と平然と 構えています。
私としては何とかして、間に合わせてあげたいと焦るばかり、でも渋滞状況は一向に代わりません。その内にラジオから「高速道路の通行止めが解除されました」との 放送が流れました。そこで、近くの八女インターに入り、大分道に移り、日田から耶馬渓を抜け豊前の会場に向かいました。豊前市に入れたのは同窓会開始まで1時間を 切っていましたが、何とか間に合いました。
妻を同窓会に送り、渋滞の中で心配し、あれこれ思い煩っていた自分を省みて、「取り越し苦労とはこういうことだな。取り越し苦労の7~80%は杞憂に終わると いうのに、心配して疲れてしまいました。自分で出来ることは精いっぱい努力しないといけませんが、自分の努力ではどうしようもない、心配してもどうすることも できない事は、委ねることも大切だな」と思いました。
何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただき なさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。ピリピ4:6~7
1日の苦労は1日にて足れり。マタイ6:34(文語訳)