121230
神様の通信手段
私はお風呂が大好きです。夏場のシャワーはまさしくカラスの行水と言われるほど、10数分で上がるのですが、冬寒い時に湯船につかると、その心地よい暖かさに、 最高の気分になり、時間が経つのをついつい忘れてしまいます。
さて、先日湯船に浸かってゆったりして、良い気持ちでいたら、私の目の前の濡れたタイルの上を時々ツルっ、ツルっと足を滑らせながら必死に上る1匹の蟻が 見えました。時々、ガクッ、ガクッと前足を滑らせる蟻を見て、「あ〜、蟻も滑るんだ。」と思いながらも彼の奮闘振りを見ていました。
蟻は悪戦苦闘しつつ、ついにタイルの目地の所まで来ました。「あ〜、良かった。」と思って見ていると、さらに上のタイルへと進んで行こうとします。蟻の言葉が 話せるなら、「目地に沿って進みなさい。その方がたやすく歩けるよ。」って教えてあげたい気持ちになりました。
しかし、彼はすぐ思い直して、タイルの目地に沿って歩き始めました。「そうだ、そうだ。賢い選択だ。」と思って見ていると、ついにお風呂の角、壁際の所まで 来ました。彼はそこで立ち止まり、まっすぐ進もうか、上、あるいは下に行こうか思案しているように見えました。
またも、蟻語が話せるなら「まっすぐ進んだら、お風呂を一周しなければならないよ。上に上がりなさい。そうすると、二つタイルを上がると窓際の水に 濡れていない平らな所に出られるから。」と教えてあげたいのに、蟻語が出来ないことにうずうずしていました。
しばらく思案していた蟻は、意を決したように上に上がり始めました。「偉い。君は偉い。正解だ。」と大声で褒めてあげたい気分になりました。蟻の奮闘を見ている だけで、まるで自分も一緒に格闘している気分になっていました。そして結局、蟻は最短距離を最小の労力で歩いて、安全地帯に辿り着くことが出来ました。
しかし、もし蟻が違う道を選択し歩き始めたら、どのように彼とコミュニケーションをとったら良いんだろう。最後は強引に持ち上げて安全な所に移すしかないかなと 思います。
蟻は自分では全て見えているように思っているかもしれませんが、実はホンの目先のことしか見えていません。私は大局的に見渡せるので、蟻にとってどうすることが 最善か正しい判断をすることが出来ます。
私は蟻の行動を見ながら、神様も私たちに対して全く同じように感じておられるのではないかと思いました。
私達3次元に生きている者は、目先のこと地上のことしか見えていません。それにかかかわらず、それがあたかもすべてであるかのように、また自分が常に正しい 判断が出来るかのように思って行動しています。
それに対して、4次元なるお方は時間・空間を超えて働いておられます。私達に見えない世界や将来のこともすべてご存知です。そして、このお方は人間の言葉が しゃべれます。私たちに語りかけ、正しい歩みを勧めることができるのです。
ただ、問題は私たちが神に心を開いていないことです。心を開かないと神様の言葉を聞き分けることができません。そこで、神様は神に心を開き、神の導きを 仰ぐことができる人を通して、聖書を書かせ、預言者として神のみ言葉を民に伝えるようにされました。
大切なことは私たちが神様に心を開いて、神のみ言葉を素直に受け入れ、従順する必要があるということです。私たちが自分の判断がいつも正しいように思い、 神のみ言葉を受け入れないと、常に問題の中を歩むようになるのです。
幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は主の おしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても 栄える。詩篇1:1〜3