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021026

人生の目的とは何か?

人生とは何か?私は何処から来て、何処に行こうとしているのか?

私は何のために生き、何のために存在しているのか?

本来、有意義だとか重要だとかの価値判断は、先ず、はっきりした目的があり、 その方向に添っていて、目的達成のためのワンステップになっているかどうかで判断 されるべきものではないでしょうか。

例えば、いい大学に入りたいとか、スポーツでスタープレイヤーになりたいと いう目的があって、そのために努力をし、訓練を続けるとき、その目的に対して 有意義だとか、重要な努力とかいうことが起きてくるのだと思います。

しかし、良い大学や、スタープレイヤーになることも人生の終着点ではありません。 人生にはまだまだ先があるのです。

大学を出て、大企業に入って、たとえ社長まで登りつめても、又スタープレイヤーに なって大監督になっても、やがては誰もが死んでいくのです。

有名人になって、皆に名が知れてもやがてこの世を去る時が来、素晴らしい人だと 認めてくれた人たちもみな死んでいきます。

たとえ、後世に名前が残っても、本人が賞賛を受けることはありません。 本人は死んでしまいこの世にはいないのですから。

それでは、人は死んでしまったらどうなるのでしょうか?

それらのことが分からないで、人生の目的を何に置いたら良いのでしょう?

人生の目的がはっきりしないところで、何を基準に努力するのでしょうか?

人生にとって最も大切な問題が分からずに価値ある生き方が可能でしょうか?

もし、人が原生動物から進化してきたのであれば、人生には目的は最初からありません。 偶然生まれて来て、偶然死んでいくのです。

皆が死んでいく運命にあるのです。正しく生きようが好き勝手に生きようが、 自分の勝手だという事になるのです。

また、戦争や飢餓で弱い者が滅びていくのも、仕方のないことになるのです。

なぜなら、強い者が生き残り、弱い者が滅びていく、これが進化論における自然の 摂理だからです。

しかし、はたして、このような進化論が真理なのでしょうか?あるいは、 他に真理があるのでしょうか?

聖書は、「初めに神が天地を創造された。」という書き出しで始まっています。 すなわち、全ての人は主によって創られた存在であり、主の目的の内に生かされている 存在だと教えます。これはあなたと創り主との関係が回復しないと見えない真理です。 主は私たちが真理を知らないで人生を空しく歩むことがないように、はっきりと聖書を 通して真理を教えてくださいます。私たちはやがてこの神の御前に、私たちの生き様を 引っさげて立たなければならないのです。来週へ続く


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