021109
神の愛の中に
初めに、言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。
この方は、初めに神と共におられた。全てのものは、この方によって造られた。
造られたもので、この方に寄らずにできたものは一つもない。
ヨハネ1;1〜3
(注:言葉はギリシャ語で「ロゴス」。神の啓示者イエスを指す。)
三男が小学生の時、学校で陶芸教室に行って、ごはん用のおわんを造って来ました。 お世辞にも良くできたとは言いにくい代物で、小さくて、分厚くて、重くて、 いびつな形をした、いかにも持ちにくそうなものでした。
私たちは、彼の素晴らしい体験を共に喜びながらも、このおわんにどのように 対処すべきか思案していました。
すると彼は、次の食事から、今までの大きくて、軽くて、形の良いおわんから、 自分で造ったいびつなおわんに変えて、自分でごはんをよそおい食べ始めました。 唖然とする私たちを尻目に、彼は嬉々としてごはんをおいしそうに食べ始めたのです。
彼にとっては、重くて食べにくい等、形などはどうでも良かったのです。彼の手に よって造られたものであることが重要だったのです。
彼が造る時の苦労や、焼き上がるのをわくわくしながら待つ思い、ついに窯から 出てくる時の感動等によって、それに特別の愛着が生まれたことは想像に難くありません。
同じように神様は私たちの器量や能力等に関係なく、一人ひとりに特別な愛着を 持っておられます。
人生で最も大切なことは、自分が神様によって造られ、神様によって特別に 愛されていることを知ることです。神の愛を経験的に体験するとき、幸せな人生に 最も大切な、心の平安と環境に左右されない喜びを得られるのです。
私たちの幸せを壊す不安と恐れは、全能者なる神を否定し、自分の力で生きて いこうとしているところから来ているのです。
いつまでも変わることのない絶対者なる神の存在を知って、より頼むとき 不安や恐れが初めて取り除かれるのです。
また,その方に愛されていることを、体験的に知る時に本当の喜びの人生に 変えられるのです。神はご自分の存在を私たちが知り、神に愛されていることを 私たちが知り、救われる為にひとり子なるイエス様を遣わされました。
「神は、実のそのひとりごをお与えになったほどに、
世を愛された。それは御子を信じる者が、1人として滅びることなく、
永遠のいのちを持つためである」
ヨハネ3;16