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030201

身体を従わせる

私は自分の体を打ち叩いて従わせます。それは、私が他の人に 宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。 Tコリント9;27

南国鹿児島だというのに、雪やあられが降り寒々しい景色が広がっています。 寒がりの私ですが、教会前の交差点で「みどりのおじさん」をやっているので、早天祈祷が終わると、朝食をとり、髭を剃って、7時過ぎには横断旗を 持って交差点に立ち、子どもたちを待ちます。

しばらくすると「教会のおじちゃん、おはよう」と言って子供たちが通り始めます。

彼らの中に二人の猛者がいます。二人は1年中同じ格好で、半そで開襟シャツと 半ズボンといういでたちです。舞い散る雪が半そでシャツの襟首や袖口から舞い込んでも 一向に構う様子はなく、平然として私とハイタッチして通り過ぎて行きます。

一方私はというと、たくさん着込んだ服をダウンのジャンバーで包み込み、 革の手袋をはめ、毛皮の付いた耳当てをしている、まるで南極越冬隊の一員のような 格好です。とても彼らと同じ場所に住んでいるとは思えない風体です。

彼らとて特別頑強な肉体を持っているわけではありません。私より多少丈夫な身体を 持っていたとしても、そんなに変わるものではないと思います。彼らが持っているのは、 肉体を従わせる強い意志力なのです。

私たちにも、彼らのような肉の思いを支配する強靱な意志が必要です。眠たいから眠る、 食べたいから食べる、飲みたいから飲む、休みたいから休む、怒りたいから怒るという 肉の感情に振り回された生活をしないで、意志によって肉体を従わせる訓練が 必要なのです。

パウロは「私は自分の体を打ち叩いて従わせます。」と言っています。私たちの肉体は 誘惑に弱く、堕落に導くものです。したがって、私たちは意志によって肉体を支配する 必要があります。そして、意志は主の導き、すなわち御霊に明け渡して従います。 その時はじめて主の御心を全うすることができるのです。

肉に従う時は次のような行いが現れてきます。不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、 魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、 そういった類のものです。このようなものが現れたら、私たちは肉にあるのであって、 主の元にいません。

一方、御霊に従う時は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、性実、柔和、自制 となって現れます。これらは主の御心を全うするのです。

私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、 決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。  ガラテヤ5;22〜23


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