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030817

幸せな人生III

さて、幸せな人生も3回目になりました。まず、リッチになる事と幸せを得る事は 関係がないことを書きました。次に私たちは楽(らく)して楽しく生活するよりも、 苦労して努力することの方が、真の幸せを得られることを書きました。

そこで今週は私たちの幸せを左右する決定的な要因の一つについて考えてみたいと思います。 それは幸せな人生を送る為の一つの土台となるべきものだと思います。

それは人間関係です。人間関係の良し悪しは私たちの心に喜びを与える一方、悩み、苦しみ、 悲しみ等を与え、私たちの平安と喜びを奪って行きます。

その人間関係も、遠い関係から私たちとの関係が近づけば近づくほど、大きな影響力を持って 迫って来ます。そして最も近い関係、例えば夫婦であるなら、あなたの夫、また妻は あなた以上にあなたの幸せに対して力を持つようになるのです。

先日テレビで「豪邸訪問」という番組が放映されていました。何気なく見ていましたが、 豪華なシャンデリアが下がるホテルみたいな玄関に、素敵な部屋、その中の素晴らしい 調度品に思わず見とれてしまいました。そして、最後にガラスの飾り棚の中にある 食器セットをさして、綺麗な着物を召された上品な奥様が、この食器セットの値段で ベンツが買えますと言われたのです。

端から見たら、文句のいいようもない幸せを絵に書いたような家庭であり、奥様のように 見えました。しかし、どのように豪華なもので飾られた素敵な生活ができても、もし あの奥様がご主人に愛されていなかったらそれらのものは何の意味もありません。 私たちは夫婦の関係が崩れた時にすべてのものが意味を失うのです。

一方たとえ素敵な家に住めなくても、豪華な調度品を持たなくても、愛しあっている 夫婦があるなら、必ず幸せを実感していることでしょう。

一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家に勝る。 箴言17:1

すなわち、幸せはリッチになりたい、楽して楽しく生活したいという遠いところに あるのではなく、最も近いところ、しかも具体的に努力できるところにあるのです。

言いたいことを言って、やりたいことをやって幸せになりたいと言っていても、 努力のないところでたなぼたみたいに幸せが落ちてくることはありません。お互いが 相手を理解し、相手を受け入れ良い関係を築くための努力をしていく必要があるのです。

実は私は、クリスチャンになる前まだ20代だった時、離婚寸前まで追い込まれたことが ありました。私の人生で最も不幸な時期でした。毎日が砂を噛むような味気のないもので、 喧嘩をするために、ただ罵り合うために過ごしているような日々でした。そして結婚が 失敗だったと後悔しました。

しかし、教会に導かれ、お互いが相手を思いやり、良い関係を築くことを心がける ようになって、二人の関係は改善し始め、今はその経験を携えて「夫婦関係」や 「子育て」の講演会に行ってお話できるようになりました。

昔は見るのもいやだと思っていた相手が、今では慕わしく、一緒にいることに喜びを 感じるほどになりました。今は幸せを毎日実感できています。ひとりでも多くの夫婦関係で 苦しむ人に、この喜びを伝えたいと思って講演会に出かけています。

私は幸せな家庭の土台は、良い夫婦関係にあり、また幸せな人生の土台は幸せな家庭に あると思います。そして、そのための努力をまず自分から惜しまずにやり始めることだと 思います。

争いの初めは水が吹きだす様なものだ。争いが起こらないうちに争いをやめよ。 箴言17:14

争いを避けることは人の誉れ、愚か者は争いを引き起こす。箴言20:3

次回は幸せな人生の絶対的な土台となるものについて書かせて戴きたいと思っています。 乞うご期待を!


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