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共に生きる

10月16日は国連が定めた「世界食糧デー」です。これは、 世界中の人々が飢餓で苦しんでいる方々のことを考え、自分自身の食生活を見つめなおし、 ともに生きることのできる世界を造ろうとの考えから制定されたものです。

鹿児島では10月31日に「世界食糧デー鹿児島大会」を市内の会場を借りて、 日本国際飢餓対策機構の村松氏と、日本国際飢餓対策機構の海外派遣員として、 今カンボジアで井戸つくりや保健衛生の働きをしておられる奥村さんにおいでいただき、 講演と現地報告をしていただきました。

また、お二人には喜入町内の5つの小学校で世界の食糧事情について お話をしていただきました。

今世界では2秒に1人、1分間に28人、1日に4万人という人々が、 飢餓とそれによって起こる病気で亡くなっておられます。

それでは、これらの人々が餓死しないで生きていくためには世界には あとどの程度の食糧あったら良いのでしょうか。

国連食糧農業機関(FAO)の発表によると、『食糧は十分な量生産されている。 漁獲量も世界中の人々のタンパク質を供給するのに十分な量です。問題は分配が 平等に行われていないこと。飢餓は分配の問題である。』とあります。

つまり、世界中では食物はみんなが食べられるに十分な量が生産されているのです。 たとえ世界の人口が100億人まで膨れ上がっても、計算上は十分足りるのです。

それでは、どこにその原因があるのでしょうか。

それは、世界の20%の先進国と言われる国の人々が世界の食糧の70%を独占し、 あとの80%の開発途上国の人々が残りの30%を分け合っているからです。

すなわち、世界の片方では食べられなくて、餓死する人々がいる一方で、 有り余るほどの食糧に囲まれて、無駄にしている人々の存在があるのです。

つまり、私たちの飽食が、飢餓をますます促進し、結果的にたくさんの人々を 苦しめていることになるのです。

それで、「世界食糧デー」を機会にわれわれ鹿児島でも、大会を開いて多くの人々に この現状を知っていただき、共に分かち合い、助け合う世界を作ろうと 呼びかけているのです。

マザー・テレサさんが日本に来られた時、「愛の反対は憎しみではなく、無関心だ」 というようなことを言っておられました。

確かに、無関心を決め付けている人々とは接点が持てなく、いつまでたっても 同じ思いになることも、痛みを分かち合いこともできません。

飢餓の問題を自分たちの問題として考える人々が一人でも多く起こされることを願います。

あなたの手に善を行う力があるとき、求める者に、それを拒むな。 あなたに財産があるとき、あなたの隣人に向かい、「去って、また来なさい。 明日、あげよう。」と言うな。箴言3:27〜28

あなたは、施しをする時、右手のしていることを左の手に 知られないようにしなさい。あなたの施しが隠れているためです。 そうすれば、隠れたところで見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。 マタイ6:3〜4


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