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トイレ掃除係り

私の車はいつも教会の玄関前に駐車します。便利なこともあるのですが、 他の駐車場は前の朝市に来られた方が止められるように、空けるようにしてあるからです。

しかし、教会の玄関前の庭隅に電柱が立っていて、そこにたくさんの鳥たちが 飛んできては休んでいます。

そして彼らの糞が車の上にたくさん落ちて汚れてしまいます。 私は鳥たちに向かって『私の大事な車をなんと心得る。』と叫びたい気持ちです。 どうも彼らは、私の大事な車を自分たちの共同トイレのように思って、使っているのです。

鳥の糞は厄介です。面倒くさいとほっておくと固まってこびりつき、 挙句の果ては、車を変色させてしまいます。そこでしょっちゅう車掃除をして、 糞落としをしなければなりません。

周りのかたがたは、きっと私が車好きで、新車をいつも喜んで、 掃除をしているのだろうと思っているだろうなと想像しながら、 実は中古の車をいやいや洗っています。

よく考えると、私はこれらの鳥たちのトイレ掃除係にされて いるだけではないかと思います。

今まで、片手に移植ゴテとビニール袋をもって犬を散歩させている人を見ると、 犬の糞を正しく処理する行為は公衆衛生上大切なことですが、しかし、 人が犬に仕えさせられているようで、なんだか変だなと思っていました。 しかし、実は私も鳥に仕えさせられている身で、なんら変わらないと思うようになりました。

聖書には人に仕えさせる人ではなく、喜んで仕える人になるように 勧められています。私自身も仕えることは嫌いではないですが、 できたら鳥ではなく人に仕えるほうが良いなと考えます。

そう考えるうちに、教会でいつもトイレ掃除をしてくださるかたがたを 思い浮かべました。教会のトイレ掃除は別段担当が決められているわけではありません。 しかし、常に何人かの方々が自主的に掃除をしてくださいます。

私はかねがねトイレの綺麗さが、その会社や団体の姿勢を反映するものだと 思っていましたので、いつもこれらの方々には感謝の念でいっぱいです。

人が嫌がる仕事ができるためには、いつもへりくだっていなければなりません。 『何で私が』なんて思う人は人に仕えることはできません。

聖書では『小事に忠実な人は大事にも忠実だ。』と言っています。つまり、 神様は目立たない小さな仕事を忠実にすることができる人に、大切な大きな仕事も 任せられると言っておられるのです。

これは、私たちの社会でも一緒で、こつこつ忠実に物事をこなす人が、 必ず信頼されるようになるということを教えていると思うのです。

私も車の糞洗いと同時に、小事に忠実に、人に仕える人になりたいと思います。

そこで、イエスは彼らを呼び寄せて言われた。 『あなた方も知っているとおり、 異邦人の支配者たちは彼らを支配し、偉い人たちは彼らの上に権力を振るいます。 あなた方の間では、そうではありません。あなた方の間で偉くなりたいと思う者は、 みなに仕える者になりなさい。あなた方の間で人の先に立ちたいと思う者は、 あなた方の僕になりなさい。あなた方の間で人の先に立ちたいと思う者は、 あなた方の僕になりなさい。人の子が来たのが、仕えられるためではなく、 かえって仕えるためであり、また、多くの人のため、あがないの代価として、 自分の命を与えるためであるのです。マタイ20:25〜28


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