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040822

全世界の平和の祭典

アテネで4年に一度の全世界の平和の祭典オリンピックが開幕しました。世界中からさまざまな能力を持った若者たちが、 いろいろな競技で、金、銀、銅のメダルを競うために集まってきます。

今回は日本でも、水泳、柔道、体操等と予想を上回るゴールドラッシュに湧いています。特に選手たちの出身地では、 夜中にもかかわらず大勢の人々が集まり、テレビに向かって声をからして応援します。

実力を出し切って、よい結果を得たメダリストたちは、テレビ各局を回って、どこででもなされる同じような質問に、 悪びれもせず丁寧に答えてくれます。

また彼らの帰国の際は大勢の人々から、わが国の誇りと歓喜の声で迎えられます。しかし、一方実力を出し切れずに 早々と敗退した人たちは、多くの人たちの期待を裏切ってしまった結果に、あたかも悪いことをしたかのように、 人目を避けるようにして、帰国することになるのではないかと心配になります。

近代オリンピックは戦争のない世界の平和の祭典として始められました。そして、それは、『オリンピックは参加することに 意義がある』とあるように、あくまでも個人の能力を競うためのものであって、それぞれの国で様々な能力の傑出した人たちが 技と力を磨いて、一堂に集まってその能力を競うもので、結果はともかくとして、お互いが精一杯戦ったことを 素直に称え合うためのものでありました。

それが今では国威掲揚の場として、それぞれの国が総力をあげて、すぐれた能力を持つ人に訓練を施し、 徹底的に鍛えます。そして、そのように訓練を受けた競技者が国の威信をかけてオリンピックに送り出されるのです。 みなが国のために出場するのです、みなが国を背負って戦うのです。したがって、オリンピックの場合は、 競技別の世界選手権などと違って、ものすごいプレッシャーがかかるので、それによって体調を崩す人もあり、 プレッシャーに押しつぶされて実力を発揮できない人も出てくるのです。それは、国の期待を一個人が一身に負うという 過酷な状況がそこにあるからです。

あるゴールドメダリストは、金メダルを勝ち取った喜びよりも、ただ取れてほっとしたというのが 正直な感想だったというのです。期待が大きな選手ほど国の威信がかかっているので、責任は重大なのです。

先日はタイの女性の重量挙げ選手が、タイ初めての金メダルを獲得しました。しかし、歓喜に沸く母国に その金メダルを持ち帰ったのは、ゴールドメダリストの彼女ではなく、応援に駆けつけていたタイの副首相でした。

あくまでこれは極端な例とはいえ、余り国が介入しすぎると本来のオリンピックの精神がゆがんで しまうのではないかと心配します。

とはいえ、私も日本人の活躍を見るのは大好きです。みな頑張って欲しいと思います。ただ、プレッシャーを感じないで、 オリンピックを楽しんで持てる能力をフルに発揮して、結果にかかわらず全員胸をはって帰ってきて欲しいと思います。

映画『炎のランナー』の中で、オリンピックの短距離走者、エリック・リドルが『私は、神が私を目的を持って お造りになったと信じていますが、また早く走るようにも造ってくださいました。私は走る時、神が喜んでおられるのを 感じるのです。』と言っています。私たちは与えられた能力を精一杯活用する時、神は喜んでくださるのです。


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