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040919

変わり行く慈眼寺の風景

長男が帰ってきたので、久しぶりに思い出の場所に行くことにしました。それは、今から10数年前、私たちの教会が 鹿児島市の小松原にあったとき、日曜日の朝になると高校生だった彼と二人で、あるいは教会の青年たちと一緒に行った場所でした。

慈眼寺駅を過ぎて踏み切りを過ぎると急な上り坂になります。昔よく通ったでこぼこ道が、今では舗装されて きれいな道になっていました。上り始めてすぐに谷山神社に行く小さな道に別れます。

曲がりくねった狭い道を、車は窮屈そうに走ります。以前は軽自動車だったので、そんなに狭く感じなかった道ですが、 今は少し長いワゴン車に変わっているので、道が曲がるたびにはみ出ないように気を使いながら運転します。

いよいよ目的の地、慈眼寺公園の遊歩道の一角にある展望台に着きました。黄色に塗られてぶっとい2本のコンクリートの 柱に支えられた屋根を持つ展望台は昔のままの姿で立っていました。

懐かしい昔の思い出がよみがえってきます。展望台からは視界が大きく開け、建物が立ち並ぶ市街地がはっきり見えます。

昔は毎週日曜日のまだ明けやらぬ朝ここへ来て、徐々に空が白んできて太陽の薄明かりに照らされ、浮かび上がってくる 街並みを見ながら、ここに住む人々の救いと祝福のために真剣に祈ったものでした。

久しぶりにここに来て、懐かしい思いで市街地を見ると、昔は平屋で波のように続く瓦屋根が、まだたくさん見えたのに、 今ではそれらがすっかり変わって高いビルが立ち並び、街や海までの距離がずいぶん近くなったように感じられました。

さらに、右手に見えていた濃い緑に覆われた山は、すっかり開拓されて、分譲地として造成されていて、昔の面影を まったくなくしていました。

また、毎週眼下に見ていた工事中の道は、指宿スカイラインに続く4車線の立派な道路になっていて、車が頻繁に 行き来するのが見えます。

以前は、時々汽笛を鳴らしながら走る指宿枕崎線の電車を木々の間に垣間見ることができたのですが、今回は残念ながら、 すっかり大きく伸びた木々に覆われてその姿を見ることはできませんでした。

あの当時は、立派な建設中の4車線の道路や、眼下をのどかに走る電車を見ながら、誰がこの立派な道を走るのだろう、 どんな人がこの電車には乗っているのだろうと思って見ていましたが、今では私自身がよく利用させていただく道路になり、 そして下を走る電車は三男が毎日乗って高校に通学する重要な足になっています。

このように、状況はどんどん移り変わっていき、私たち自身でさえ自分の予期しない方向に動いていきます。そして、 信頼していたものが一瞬のうちに崩れ去ってしまう、阪神大震災やアメリカを震撼させたテロのようなこともあります。 そのようにめまぐるしく変わるこの世の中にあって、いつまでも絶対に変わらない、信頼すべきものがあります。

人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし、主の言葉は、 とこしえにに変わることがない。Tペテロ1:24〜25


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