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041003

実った夏みかん

猛暑が続いた夏が過ぎ、いよいよ実りの秋を迎えました。

教会の裏庭の1メートルほどの夏みかんの木に10数個の濃い緑色をして、つややかに輝くみかんの実が、重そうに ぶら下がりました。3度の強い台風で、屋根のかわらやテレビのアンテナが被害を受けたにもかかわらず、これらの実は しっかりと枝につながっています。

実は私の実家の庭に2本の大きな夏みかんの木がありました。夏みかんが大好きな私はいつも、たわわに実った夏みかんを、 もぎっては食べ、もぎっては食べしていました。

ですから、教会ができたとき最初に思ったのが、裏庭で夏みかんが実ったら、どんなによいだろうなでした。

鹿児島市内で行われる春や秋の木市に行って、苗木を買って来ようかなと思い、何度か近くまで行ってみましたが、人の 多さや駐車場がなかなか空かないとかで、断念して帰って来ていました。

あるとき、前の朝市で買った夏みかんを食べ終えて、いっぱい残った種を見ているとき、ひとつの思い出が よみがえってきました。

それは、小学生のとき、スイカを食べながら、口から庭に飛ばしたスイカの種が、芽を出し、つるが延び ソフトボール大の実を結んでいた姿でした。

そうだ、この種を裏庭にばら撒けばそのうちのひとつぐらいは芽を出し、実を結ぶ木になるかもしれない。 それからはせっせとみかんを食べ、種をばら撒きましたが、一向に芽を出す気配はありませんでした。

そのような時、一人の教会員が「先生、裏庭にみかんの木や柿の木を植えましょうか。」と言ってくれましたので、 喜んでお願いしました。

早速夏みかんや甘夏、柿とトロピカルフルーツのグァバの苗木を植えるために持って来てくださいました。

驚いたことに、小さな苗木なのに、その一つ一つに分不相応に思えるほどの深く大きな穴を掘って、それに水を流し、 下地をやわらかくしてから、丁寧にそれらの苗木を植えていきます。それを見て、ああ、私が苗木を買ってきて植えたとしても、 たぶん枯らしてしまっただろうなと思いました。

そして、2年目の今年は小さい木ながらたわわに夏みかんの実を実らせてくれました。それを見ながら、草むらに ただむやみに種をばら撒いてもだめなこと、また植え方も正しい方法に従って植えるべきことを教えられました。

聖書は人間の繁栄にも法則があることを教えています。

幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座に着かなかった、 その人。まことに、その人は主の教えを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。 時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は何をしても栄える。詩篇1:1〜3


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