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050109

めでたい正月

1年1年が過ぎるのを非常に早く感じるようになって来ました。若いときはそうでもなかったのに、 このごろは瞬く間に年が過ぎて行くように思います。

私が若いころに映画やテレビで盛んに活躍していた俳優さんや女優さんが、やがてお父さん役やお母さん役で テレビに登場するようになり、ついには孝行爺や孝行婆役でお目にかかるようになってきました。

先日、昔の会社の同僚が家を訪ねて来てくれました。久しぶりの再会で昔話に花が咲きましたが、しばらくすると 彼がおもむろにスーツのポケットに手を入れ、1枚の写真を取り出しました。

『おい、これを見てくれよ。かわいいだろう。私の孫だよ。』と嬉しそうに私に差し出しました。その写真に写った かわいい赤ちゃんの顔を見ながら、我々もついにこういう年代になったのかなと思いました。

そういえば前回初めて出席した同窓会でも、白髪の友や見事な輝きの頭をした友などがいて、年日が速足で過ぎ去ったことを 痛感しました。また、すでに故人となっておられた級友も何人もおられたので、素早く経過した歳月の冷酷さを 思わずにはいられませんでした。

昔、次のような句を見たことがあります。

「正月や、三途の川の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし。」

読まれた方の名を残念ながら忘れてしまいましたが、彼はお正月のたびに死に近づいている自分を思い、めでたいような、 また余り浮かれてもいられないような複雑な気持ちだったのでしょう。

しかし、私たちの人生は死で終わるのではありません。死んで後、神の前で裁かれるときが来ます。そのときには 誰一人自信をもって神の前に立ち得る人はいません。ですから、早く自分の醜さ、汚さ、弱さを認めて、 救い主により頼む必要があります。

義人はいない。一人もいない。悟りのある人はいない。神を求める人はいない。すべての人が迷い出て、みな、共に無益な者となった。 善を行う人はいない。一人もいない。ローマ3:10〜12

そのような私たちを愛し、救い上げてくださるために神様はそのひとり子を救い主として送ってくださいました。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠の命を持つためである。ヨハネ3:16

救いは体験的に確信することが出来ます。神の前に罪を悔い改め、救いを体験した人は死の恐れから解放され、 希望の生涯を送ることが出来ます。

先日、中国に行って日本語を教えておられる池田先生から送られてきたメールには次のような句が書いてありました。

「元旦や み國に一歩 近づけり。」公榮

そして、先生は私にとっての新年。それは間違いなく、神のみ国が一歩近づいたことを意味する。と結んでありました。 先の句と比較してみてください。

私たちが年をとるのは意外と早いものです。若いと思っているうちにすぐ老年を迎えます。しかし、神様は私たちが常に 希望の人生を歩めるようにすべてを備えておられるのです。


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