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母との生活

母が昨年の12月に、デイサービスに行っている間に吐血をして病院に運び込まれました。診察の結果は 老人性胃潰瘍ということでした。幸い対応が早くて大事には至りませんでしたが、今後は一人暮らしには危険があるということで、 兄夫婦が引きとることになりました。

兄夫婦は鹿児島に家を持ってはいますが、今は仕事の関係で宮崎に居住しているので、兄嫁が鹿児島の家に帰って来て、 自分の家で母の面倒を見るようになりました。

しかし、母は今回の入院でかなり痴ほうが進んでしまって、自分が住んでいた家に無性に帰りたがり、 姉を随分手こずらせておりました。

そのような状況下で面倒を見てくれていた姉が、10日ほど宮崎に帰ることになったので、 私たちが母の面倒を見させていただくことに致しました。

私は兄弟の中で最も両親に苦労をかけて来たので、少しは恩返しができると喜び、姉が宮崎に立つ日、勇んで妻と一緒に、 母を迎えに行きました。

母が少しでも違和感がなく生活ができるようにと、いつも使っている座椅子や、枕ひいては鏡台までをも、 車に積み込んで家に持ち込みました。

最初の日から早速母の、家に帰るが始まりました。母の中では、17年も前に亡くなった父が生きていて、 何にも連絡しないできたので心配しているだろう。また、早く帰ってあげないと父が可哀想と思っています。

無理やりに引き止めても、父のことを本気で心配している母はそれを振り切って、強引に帰ろうとします。 「帰っても家には誰もいないし、一人で住むこともできない」ということを何度説明しても、一向に納得する気配はありません。 話が全く通じないだけに、こちらはホトホト疲れ果ててしまいます。

薄暗くなって帰ることをあきらめたようなので、少し安心していると、今度は昼夜が逆になって、一向に寝る気配がありません。 いろいろ説得しているとアッという間に12時を過ぎてしまいました。聖書も読めず、本も読めず、講演会のメッセージの準備や その他の仕事もほとんどが手つかずで、母に付きっきりでいて、かろうじて日記を書いたばかりで最初の日が終わりました。

このような状況で毎日、朝4時半に起きて早天祈祷会をするのかと思うと、今後が脅威にさえ感じられます。

あくる日も案の定、朝早くから、帰らないといけないが始まりました。今日は歩いてでも帰らないと父が心配していると言います。 姉のところでは家を飛び出して、一時行方不明になったこともありましたので、ここを出られたら大変と母と口論しながら 必死で止めます。

母を愛して行っていることに対して、母が怒ったり、悲しんだりするのを見るのは非常に辛いことです。いっそのこと このまま帰らせてあげたらどのように楽かと思います。

愛することを口で言うことと、実践することとの間にはこんなにも大きなギャップがあるのかと、今更ながら痛感させられました。 妻は『今まで育てていただいたのだから、精一杯のことはして上げましょう。』と言います。私もキリストによって与えられた 神の愛を持って心から接しようと心に決めていましたが、何度もくじけてしまいそうで、自分の愛の小ささを思い、神様の愛を持って 接することができるように、日々祈るばかりです。

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物として 御子を遣わされました。ここに愛があります。愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、 私たちもまた互いに愛し合うべきです。Tヨハネ4:10〜11

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