050213
真のボランティア
川辺郡の笠沙高校から真のボランティア精神について90分の講演をしてくださいという依頼がありました。
私も今日まで、いくらかのボランティアに関ってきましたが、改めて、ボランティアのあり方について 考えされられた、良い機会になりました。
広辞苑でボランティアと引くと、義勇兵の意とあり、そして志願者。奉仕者。自ら進んで社会事業などに 無償で参加する人とありました。
すなわち、自ら進んで自分自身を他者のために、また人々の益のために捧げていくことであろうと解釈しました。
そして、これこそイエス様が自ら実践され、弟子たちにも実践するように教えられた、キリスト教精神の根底にある 最も重要なことだと再確認させられました。
「あなた方の間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。 あなた方の間で人の先に立ちたいと思う者は、あなた方の僕になりなさい。人の子が来たのが、仕えられるためではなく、 かえって仕えるためであり、また、多くの人のために、あがないの代価として、 自分自身の命を与えるためであるのと同じです。」(マタイ20:26〜28)
また、仕える者の精神としてイエス様は、
「何事でも、自分にしてもらいたいことは、 ほかの人にもそのようにしなさい。」(マタイ7:12)と教えられました。
すなわち、ボランティアの精神で重要なことは、奉仕の相手や、状況をよく観察して、自分自身に置き換えてみて 最善を尽くすべきだということだと思います。
また、ボランティアの心の姿勢としては、
「一人ひとり、いやいやながらでなく、 強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。」 (Uコリント9:7)とあり、いやいや奉仕したり、募金したり、また無理やりさせられてするのは 正しいあり方ではないので、相手に対しても返って失礼になってしまうことでしょう。ボランティアは心から喜んで 仕える姿勢が大切で、そうでないならするべきではないということです。
さらに、心の姿勢として、ボランティアを通して自分自身の栄光を求めないようにしなければなりません。イエス様は、
「人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。」 (マタイ6:1)と言われ、さらに
「あなたは、施しをするとき、 右手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。」(マタイ6:3)とも言われました。
私たちは善行をするとき、誰かに認められたいと思いがちです。しかし、イエス様は自分自身の行為を振り返り、 内心満足することさえ、正しい姿勢ではないと言われます。
私たちの教会では毎週礼拝の後に教会の掃除をします。強制ではありませんので用事のある人等は無理にする必要はありません。 したがって、トイレの掃除当番とかも決まっていませんが、いつも綺麗になっています。それは、自ら進んで トイレの掃除をしてくださる方がおられるからであって、心から感謝しています。
肢体不自由児を預かっておられるあるクリスチャンの施設では、トイレの掃除をしたい人が多すぎて、 毎回抽選で決めているほどだそうです。
皆がこのようなボランティアの精神を持って仕え合うなら、どんなにか素晴らしい社会になり、 喜びの日々が送れることだろうかと思います。
このようなボランティアの精神が少しでも伝わるように講演会でお話できたら、と思います。