050220
懐かしい思い出
毎朝、児童通学保護員として街頭に立ちます。6時55分に通学路に行って、 7時55分まで、子供たちの交通安全指導を行ないます。
6時55分といえばまだ薄暗く、周りのものがぼんやりとしか見えません。そのような中で街頭に立っていると 朝市の庭の紅梅に小さな鳥が来ているのが見えました。雀かなと思って、そっと近寄って目を凝らして見てみると、 雀にしてはどうやら全体的に小さそうです。
雀たちは冬になると、ちょうどダウンジャンバーを着たような格好に、おなかの周りが膨らみ、大きく見えるようになりますが、 その鳥にはお腹のふくらみがありません。
薄明るくなってきてから、もう一度見てみるとメジロのつがいが盛んに梅の花の中にくちばしを突っ込んで 蜜を吸っているのが見えました。
この地に来て10年が経ちますがメジロを初めて見たような気がします。子供のころ屋久島では周りにいっぱいメジロがいて、 ごく普通に木々で遊ぶ姿が見られました。
メジロは白いおなかに、薄緑の羽根と頭をして、目の周りが白い丸をかいたようになっているのが特徴です。 私はかわいいメジロが大好きで、中学生のころはよく鳥かごで飼って、世話をしていました。
友達と、何の木だったかはよく覚えていないのですが、木の皮をはぎ、それを石で砕いて粘々にして鳥餅というのを作ります。
それを木の棒に塗りつけてメジロが来て止まりそうな木の枝のところに取り付けるのです。そのようにして罠を仕掛けて、 そこに止まり飛べなくなったところを捕まえるのです。
残念ながら、私は一度も捕まえたことはなく、いつも捕るのが上手な友達から貰ってきて、それを飼っていました。
そして、学校から帰ると竹製の鳥かごの水入れを変え、糞を掃除して、榊の木の実や草をすり潰したものを えさ箱に入れてあげたりと世話をしていました。
今は勝手にメジロを取るのは禁止されていると聞きましたので、今の子供たちにはそのような経験をさせることは できなくなって残念です。
昔はそのほかに、うなぎのわなを仕掛けたり、亀の子を捕ってきてしばらく遊んで海に返したりと自然に触れ合うことが 多くありました。
子供のころそのような自然とのふれあいの中で日々過ごせたことはとっても幸せだったと思います。
それに比べて、今の子供たちは人工的に作られたテレビのアニメやテレビゲームなどで遊ぶようになりました。 豊かになって良い物を食べ、高価なおもちゃで遊べるようになってはきましたが、人生にとって大切な心の豊かさを育むためには、 それだけでは問題がありそうです。
神はその種類に従って野の獣、その種類に従って家畜、その種類に従って地のすべての はうものを造られた。神は見て、よしとされた。そして、神は、「われわれに似るように、われわれの形に、人を造ろう。 そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地を這うすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。 創世記1:25〜26
神様は動物、植物、すべての環境を整えた後、最後に人を造られました。それは、私たちが野の生物とのかかわりの中で 生きることを望んでおられるからです。