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050410

悲しい事件、悲しい人間

テレビのニュース番組を見ていたら、非常にショッキングな、腹立たしいニュースが飛び込んできました。それは京都の 聖神中央教会というところで起きた信じられない出来事でした。

報道によると牧師が教会の牧師室で、12歳の女の子に対して性的な暴力をしたという内容でした。さらに、被害者は一人ではなく 複数の女の子に及ぶというのです。

十字架を掲げた教会で、牧師室に女の子を連れ込んで、わいせつな行為をした上に、神の名を使って「祝福される。」とか 「地獄に落ちる。」なんてことを言う、卑劣な行為は、社会的には絶対に赦されないことです。

キリスト教においては「姦淫してはならない。」との戒めがあり、旧約時代は姦淫の罪は石打ちの刑で、極刑でした。また、 イエス様は「情欲を抱いて女を見るものは、すでに心の中で姦淫を犯したのです。」と戒めています。

したがって、神を畏れ敬って、聖書のみ言葉を取り次いでいる牧師が、姦淫の罪を恐れないで、平気でそのようなことが 出来るとしたら大いに問題があります。牧師であるなら姦淫の罪がいかに神様を悲しませる罪であるかを教え、導くもので なければなりません。

また、「私は教会の最高権威者で、私に従わないものは地獄に行く。」というようなことを言って信者を縛るのは、 カルト集団のやり方そのものであり、ここにも大いに問題を感じます。

聖書では、弟子たちの中で、誰が一番弟子かといって議論が始まったとき、イエス様はそのような権威主義を戒めて 次のように弟子たちに話しています。

すると、イエスは彼らに言われた。「異邦人の王たちは人々を支配し、また人々の上に権威を 持つ者は守護者と呼ばれています。だが、あなた方は、それではいけません。あなた方の間で一番偉い人は一番年若い者のように なりなさい。また、治める人は仕える人のようでありなさい。」ルカ22:25〜26

これがキリスト教の基本精神です。

しかし、残念なことに、このような一人の牧師による事件の報道によって、神の御名を汚され、全国の教会で、まじめに御言葉を 伝えている牧師だけでなく、聖書を信じ、まじめに信仰生活をしている多くのクリスチャンまでもが批判的な眼に晒されるのは 耐えられないことです。

キリスト教は神の愛の宗教であり、人々の心の問題に解決を与え、平安を与えるものです。したがって、地獄に落ちると脅迫して 人々を恐れによってコントロールする、いわゆる罰信仰とは根本的に違うものなのです。

今週は皆さんに真のキリスト教を理解していただき、このようなまがい物の宗教に騙されないように心から願いつつ 書かせていただきました。

毎週このコーナーを書くときに、モットーとしていることがあります。それは、キリスト教をできるだけわかりやすく、 一般の人の目線で伝えたいということと、内容的には硬くならず、ほのぼのとした身近な題材を使って、わかりやすい文章で書き、 良い読後感が残るものを提供しようということでした。

しかし、今回はキリスト教について、人々に誤解を与えないようにとの思いから、少し生々しい、悲しい事件を題材にさせて いただいたことを心からお詫びいたします。

また、被害を受けられた子供たちの心の癒しと解放を心から願い祈ります。このような神の御名を汚すことが二度と 起こらないように祈りつつ、私をはじめ教会員一人ひとりも、人はみな罪を犯しやすい者であることを覚えつつ、自分自身を戒め、 新たな気持ちで歩んでまいりたいと思います。


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