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050424

光の中のバプテスマ

4月17日、今年中学生になったばかりの真理ちゃんがバプテスマを受けました。 彼女は小さいころからお母さんに連れられて教会に来ていました。

小学校の下級生のころは、礼拝の間、母子室でビデオを見たり、本を読んだりして礼拝が終わるのを待っていました。

しかし、上級生になるとお母さんと一緒に礼拝に出席するようになり、そして最上級生になるころから、 明らかに彼女の礼拝メッセージを聞く姿勢が変わってきたのが話しながら分かりました。ともすると、 ほかの先輩クリスチャンよりも真剣に聞いているように感じることさえありました。

また、聖書のみ言葉を自分に当てはめて考えるようになりました。たとえば、「汝の敵を愛せよ。」と聞くと、「私には そんなことはできない。」と反応するのです。もちろん、そのようなことは私たちの努力や決心でできることではありません。

しかし、大切なのは、自分が神の基準には到底、到達できない者であるということを知ることから信仰が始まるのです。 そして、聖書を通して自分が罪深い存在であることを知るのです。

私たちは自分は罪とはおよそ関係ない存在だと思って生きています。それは私たちの罪の基準が人の定めた法律にあるので、 私は犯罪を犯していない、イコール聖い、正しい人間と勝手に判断しているところにあるのです。

しかし、神の御前では、人を憎んだり、さげすんだり、うそを言ったり、裁いたり等、それらすべてが罪なのです。そして、 それらの根底にあるものが、自分の造り主なる神を受け入れないという罪なのです。

私たちは自分が聖いからクリスチャンになったのではなくて、自分が罪深い汚れた存在であることを知ったので クリスチャンになったのです。自分では罪から離れ、聖くなるために、どうすることもできない者であることを認めたので、 神様に立ち返り、神様により頼んで行こうと決心したのです。

真理さんもそのことを知り、神を受け入れる決心をしました。それで、先日礼拝後、洗礼式を行いました。

最初、みなで聖歌418番を讃美することから、洗礼式が始まりました。

わたしはきょうまで さすらいの たびをつづけて おりました
ひかりをうけた このひをば さかいにつみと わかれます

その後、彼女の信仰に至るまでの経過と、素晴らしい信仰告白がありました。

そして、最後に聖歌205番を讃美しました。

つみにけがれし このみをば あらいきよむる バプテスマ
主のおおまえに 立ちていま さずけらるるぞ ありがたき

それから、彼女に、水に沈める洗礼を授けました。式が終わってから、デジタルカメラでその様子を撮っていた恵悟兄が、 洗礼式のとき不思議な事があったというのです。

彼によると、わたしが真理ちゃんに洗礼を授けるとき、二人が明るい光に包まれたというのです。

後で、その映像を見せてもらうと、確かにわたしが手を上げて祈り始めてから、洗礼が終わって二人が水から上がるときまで、 二人の洗礼着に光があたり、真っ白に輝いているのです。

そのような話は何度か聞いていましたが、実際にこんなところで起こるとは全く思ってもいなかったので、 大きな感動を覚えつつも、神の臨在の恵みに心から感謝しました。

あなた方に言いますが、それと同じように、ひとりの罪びとが悔い改めるなら、 神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。ルカ15:10

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