050904
人の性格は変われるか?U
私が大学に入ってまず始めたのが、寮の先輩たちの真似をしてタバコを吸い始めたことです。お世辞にもおいしいとはいえない煙を、 咳き込みながら吸い込むことは馬鹿らしいことでしたが、ただ好奇心でやっていました。このことが後で自分をどんなに不自由に するかをそのときは全く考えもしないで。
次に酒を飲むことを覚えました。大学生はコンパといってすぐ酒を飲みます。先輩達からお前は鹿児島だから強いだろうと おだてられて、その気になって飲んでいました。
また、酒の席で物真似をしたり、学校の応援歌の演舞を見よう見真似で踊ったりし始めたので、面白がられて、寮監の先生からは 夜電話で、「今中州の何々という店で飲んでいる、今からすぐ光のように早く来い。」という一報をよく受けて、飛んで行って学校の OBや諸先輩方の前で歌を歌ったり演舞をしたりして重宝がられました。
また、上級生になると、スナック通いが激しくなりました。そこでも店のマスターやママさんに好かれて、スナック仲間の開店で マスターがお祝いに行く時は私が呼び出されて、酒を飲めないマスターの代わりに飲み役で着いて回りました。
マスターたちが店を休んで里帰りする時は、私を連れて一緒に田舎に帰ることもありました。すっかり仲良くなった私はそのうちに スナックに入り浸りになり、ある時ママさんに「佐多さん、あなた今月4日来なかったよ。」と言われたこともありました。
もちろん、ただで飲んだり食べたりできるわけではないので、最終的にはかなりの金額のツケが溜まりましたが、卒業祝いにすべて 帳消しにしてくれました。それでも、卒業してから鹿児島に旅行に来たついでに私を訪ねてくれて、一緒にお食事を ご馳走してくれました。
酒を飲むことを覚えた私は、社会人になってからも飲むことはやめませんでした。ただ、1年後に妻と結婚する約束をしていたので、 結納金を貯めるために、スナックやバーなど金のかかる所へは行かなくなりました。妻との結婚の為だったから耐えることが できたのだと思います。しかし、会社帰りに会社の先輩といっぱい飲み屋でビールを引っかけて帰る程度のことはよくありました。
母は私が酒が大好きなので、私の顔を見るとすぐビールを出してくれました。結婚して長男が2歳になったころには、私がただいまと 帰ると、彼が冷蔵庫に飛んで行って、ビール瓶を抱えてヨロヨロしながら私のテーブルに持ってきてくれるのが日課になりました。
しかし、クリスチャンになると不思議なことにビールや酒を飲む気がしなくなりました。実家に帰ると母がすぐビールを出して くれるのですが、飲みたくなくなった私がそれを断ります。すると、母は可哀想だ、可哀想だと言ってしきりに飲むように 勧めてくれました。
母はキリスト教の戒律が私の楽しみの酒を取り上げたのだと思っていました。しかし、私は可哀想でも何でもなく本当に 酒を飲む気がしなくなったのです。母に何回説明してもそのことは理解してくれませんでした。無理もない話です。 反対の立場だったら私も理解できないことだと思います。
もちろん聖書には酒に酔うな等の戒めがあります。しかし、それらは私たちが歯を食いしばってがんばるのでなく、神様が 内側からできるように変えてくださるのです。
(私は)あなた方に新しい心を与え、あなた方のうちに新しい霊を授ける。私はあなた方の体から 石の心を取り除き、あなたがたに肉の心をあたえる。私の霊をあなた方の内に授け、私のおきてに従って歩ませ、私の定めを 守り行わせる。エゼキエル36:26〜27 注(石の心:かたくなな心、肉の心:柔軟な素直な心)