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050911

人の性格は変われるか?V

私が高校2年のとき進路の選択がありました。私は決して成績は良くないのに国立大の理系を選択しました。それは両親から 経済的な理由で、私立には行かないでくれとお願いされたからです。

浪人して国立を受験しましたが、何せ勉強が嫌いな上に受験科目が多く、たいした能力もない私ですから、 受かるわけがありません。

あるとき浪人仲間が、福岡の私立文系、S大の商学部に受験申込書を請求したら、商学科と経営学科の2つが入っていたのだけど、 一人で受験に行くのは寂しいから君も一緒に受けに行かないかと誘われました。国立理系とは全く正反対の私立文系です。しかし、 気の良い私は貰った受験申込書で彼と一緒に受けに行って、二人でその大学に入学することになったのです。

こんないい加減な気持ちで大学に入ってしまった私は、さしたる目的もなく、ただのんべんだらりと毎日を過ごす学生に なってしまいました。

その当時の私の願いは一刻も早く実家を離れて、自由になりたいということでした。ただ、小言を言う親の目の届かぬ所で、 自分の好きなように過ごしたいとの思いだったのです。

ですから親元を離れた私は自由を満喫したくて、おいしくもないタバコを吸う練習を始めました。実際はそんなに強くはないのに 酒も飲み始めました。また、友達に誘われてパチンコに熱中するようになりました。

ただ、大学生がよくやるマージャンだけは誘われてもしませんでした。テーブルの前に何時間も座るのは好きではないし、 私にとってそれは自由ではなかったからです。

しかし、私が自由だと思っていたパチンコや、酒、タバコが自分を束縛しているのに気付くのに そう長く時間はかかりませんでした。

行く度にほとんど負けてしまうパチンコ、やっていてちっとも楽しくはありません。いらいらすることのほうがずっと多いのです。 負けて帰る時の空しさ、自分の馬鹿さ加減をつくづく反省します。しかし、不思議なことに止めることはできないのです。

やがて、パチンコ通いをしている人がこういうのを聞きました。「パチンコに行っている人の内9割の人は 行きたくないのに行っているのだよ。」なるほど納得。

一方、タバコは我慢して吸っているうちにおいしく感じるようになりました。食後の一服、酒の席で、またそれだけではなく、 毎日が私にとってなくてはならないものになりました。

ある寮の欠食日(寮母さんたちのお休みの日)。朝、起きて財布を見ると100円しか入っていませんでした。今日1日食事は ありません。この100円で何とか1日を過ごさなければなりません。(当時は100円でパン1個と牛乳1本程度は買えました。) それを少しずつ食べて飢えをしのぐ事にして、まず一服しようとポケットのタバコを探しました。

そこで私はある事実を知って愕然としました。タバコがないのです。ご飯は1日我慢できてもタバコは我慢できません。仕方なく、 その100円はタバコに変わりました。お腹をすかせながら、タバコを吸っているという奇妙な光景です。そしてそこで、 結局はタバコによって不自由にされている自分を発見するのです。

すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、私の体の中には異なった律法が あって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、体の中にある罪の律法のとりこにしているのを見出すのです。私は、 本当に惨めな人間です。誰がこの死の、体から、私を救い出してくれるのでしょうか。私たちの主イエス・キリストのゆえに、 ただ神に感謝します。ローマ7:22〜25

いまや、神様の恵みによってこれらのものから完全に自由にされていることを感謝します。


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