051030
長男の結婚U
長男の結婚式が来年の3月に鹿児島市で行われることが決まりました。彼にはずいぶん苦労をかけてきたので、幸せな結婚をして 欲しいと心から願っています。
彼が小学5年生の時、私が、勤めていた会社を辞めて、鹿児島市の谷山地区で開拓伝道を始めました。単立の教会として、 どこからのサポートも一切なしで始めましたので、かなり経済的に困窮しました。
私たち夫婦はある程度覚悟をしていましたが、こども達は今までの比較的恵まれた生活から、急に貧しい環境の中に 放り込まれたので、かなりの戸惑いがあったものと思います。
しかし、彼らは何一つ文句を言わず、毎日おかゆを食べて学校に通いました。そのうちに彼らは、如何に少ないご飯でお腹一杯に なるかを研究し、おかゆの炊き方を工夫するようになりました。妻は肉や魚が買えなかったので、安くて栄養価が高く、おいしく 食べられる料理、特に卵料理や豆腐料理を工夫して食卓を飾ってくれました。だから、それほど惨めさは感じませんでした。
長男が中学生になると、彼はクラスのお友達が飲まなかった給食の牛乳を先生にお願いして内緒で貰ってきてくれるようになり、 それを明くる日、家族で朝食に飲みました。ある時、私が家に帰ると彼が運動靴を熱心に洗っていました。私が横を通り過ぎようとして、 ふと見ると洗っているのは彼の靴ではありません。不思議に思った私が、その靴どうしたのと聞くと、彼は焼却炉に捨ててあったのを、 まだ履けそうだったから拾ってきたんだと言うではありませんか。そのときは、苦労は覚悟していたとはいえ、彼に申し訳なくて、 こんな惨めな生活を家族にさせる自分をふがいなく感じました。しかし、彼らは全く意に介さないような風で毎日楽しく学校生活を 送っていました。
彼が高校に入ると辞書類を揃えなければならなくなりました。漢和辞典や古語辞典は持っていないので何としてでも 買ってあげなければなりません。しかし、英語の辞書は中学用の古い辞書があったので、高校用の詳しい良い辞書は買わないで 我慢してもらいました。
彼はそれを使って一生懸命勉強をして、友達から「辞書の厚さと成績とは関係ないね。」といわれたと言っていました。
また家計を気遣って、皆が長髪にするのに自分は坊主で良いからと言って坊主でいました。すると、あるとき「この頃野球部の 下級生が自分を野球部の先輩と間違えて『んちわー』と大声で挨拶をするんだ。」と言って笑っていました。一時野球部が必勝を 期して坊主になっていた時があったようなのです。
また、彼はどんなに強い雨が降っていても合羽を着て自転車に乗って40〜50分の道のりを通学していました。そんな彼の 生活を見ていた前の家の人が、大学合格を知り、誰よりも早くお祝いを持ってきて下さり、わが事のように喜んでくださいました。
東京の大学に行ってもアルバイトをして、自分で生活費を稼いで、家にはほとんど負担をかけませんでした。ただ、医学部なので 本類は高くて買えなかったようで、図書館に行って試験勉強をしていると言っていました。
生活費を稼ぐためのアルバイトが忙しく、また本類も満足に買えないような学校生活をしていながら、ちゃんと卒業して、 いま医師として立派に頑張っています。
彼には本当に多くの負担をかけてしまったけれど、そういう逆境にもめげずに、立派に成長して、ついに結婚して 家庭を持つようになるのかと感慨もひとしおです。
私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、 飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。私は、私を強くして くださる方によって、どんなことでもできるのです。ピリピ4:12〜13