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060101

昔の日記を取り出して

昨年始めて3年日記なるものを買いました。それまでは単年度の日記だったので、ほとんど以前の日記を開けて見るということは ありませんでしたが、今年は昨年の同じ日の出来事を見、懐かしみながら書き綴ることができそうです。

そのようなことを思いながら、何気なく本棚にある1980年代の日記を2冊取り出し、元旦の様子を見て見ました。一つには旅行先 (妻の実家)の豊前市から、家族で北九州の教会で行われる元旦礼拝に行き、懐かしい人たちに会ったことが書かれてありました。

あの当時はまだ会社に勤めていました。12月31日仕事が終わって家に帰ると妻と子供たちが旅行の準備を終え、首を長くして 私の帰りを待っていました。ライトエースの後ろの座席は倒され、子ども達が眠っていけるように布団が敷かれていました。

皆が直ぐ車に乗り込むと、出発です。車は薄暗くなりかけた道路を走り、しばらくして高速道路に入ります。高速はえびのまでで、 そこから人吉まではぐるぐる山を回りながら加久籐峠を少しずつ上へ登って行きます。登りつめた所のパーキングで妻が作ってきた 弁当を開いて食べます。人吉を過ぎると八代までは球磨川の川べりを通ります。あそこはいつもどこかで工事をしていて夜でも 混雑していました。

八代からは再び高速道路に入り久留米まで一直線に走ります。久留米で高速を降りると、今度は九州横断して大分の方に山越えします。 日田を通り耶馬渓に入るころは雪で通れなかったらどうしようかといつも心配になりました。無事、耶馬溪を過ぎると大分の中津市街に 入ります。そこから再び北上を始めて福岡の豊前市に向かい、妻の実家に着くのはいつも朝の4時ごろになりました。

それなのにその日北九州の小倉の教会の元旦礼拝に行くとは当時のバイタリティーは信じられないです。モーセは120歳になっても 気力は衰えなかったとありますが、私もまだ老い込まないで、気力だけは強く持ちたいものだと思います。

もう一つの日記には、韓国の祈祷院で正月を迎えたことが書かれていました。これは私が会社をやめて献身する年のお正月の 出来事でした。新しい年を断食しつつ聖めを求めて過ごしたいと3人の仲間と出かけたのでした。

祈祷院に着くと5千名収容の礼拝堂が立錐の余地もない状況で、全く中に入れません。おそらく収容人口の倍近い人が来ていたと 思います。近くの人に尋ねると韓国では正月3ヶ日を断食して新しい年を始める人がたくさんおられると言うことでした。一番楽しい 正月3ヶ日を毎年断食して過ごすなんて彼らの信仰のすごさに圧倒されました。

しかし、私たちが日本から来たということが分かると、スタッフらしき方が人々をかき分けミキサー室に連れて行ってくれました。 ミキサー室は一段高いところに造られており、ガラス戸越しに礼拝の状況がよく見える一等地でした。

それから3日間断食しつつ1日4回行われる礼拝に出席して祈りました。そして仲間の3人は日本に帰っていき、私は一人残り 断食しつつ祈り、都合3週間をそこで過ごしました。

このようなことが書かれた昔の日記を読んでいると懐かしい思い出が次々とよみがえって来ます。私も若いころのあの バイタリティーと純粋な熱心さをもう一度取り戻したいと切に思いました。

あなたはよく忍耐して、私の名のために耐え忍び、疲れたことがなかった。しかし、あなたには 非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。それで、あなたはどこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、 初めの行いをしなさい。黙示録2:3〜5

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