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060115

魅力的な子どもらしさ

1月10日、子ども達の新学期が始まりました。彼らの安全な登校のために、久しぶりに教会前の街頭に立ち交通指導をしました。 それは、私が1昨年の11月から鹿児島市の児童通学保護員を委嘱されているからです。

実は10年ほど前から、毎日街頭に立ってみどりのおじさんをボランティアで行って来ました。しかし、1昨年喜入町が鹿児島市に 吸収合併されることになってからは、ボランティアではなく、市から委嘱されてそれを行うように変わったのです。

市から制服や制帽、防寒のコートまで支給され、以前とは違い、立派ないでたちになりました。それで、最初は子ども達から 「おじさん、警察官になったの」と冷やかされていました。それに連れて、以前のような気楽なボランティアではなく、毎日始めた時間、 終わった時間、それに子ども達の状況等を日誌に記し、一ヶ月終わる毎に、一月の感想を書いて学校に提出するという作業を 行うようになりました。

しかし、子ども達は以前とちっとも変わりません。相変わらずハイタッチをして通り過ぎる子、握手をしていく子、立ち止まって 長話をする子などさまざまです。ただ、今年の寒さは格別です。口から吐く息が真っ白くなり、霜柱が立ち、外気より水温のほうが 高いのか川からは湯気が立ち昇っています。

そのような中、子ども達の中にも長ズボンを穿いて手袋をはめて通り過ぎる子も見かけるようになりました。しかし、ほとんどの 子ども達は半ズボンやスカート姿で手袋もつけないで登校します。そして中には未だに半そで開襟で行く男の子までいるのです。

一方私は、支給されたボアのついたズボンを穿いて、上着はトレーナーやシャツなど着込んだ上をフードのついた防寒用のコートで 覆って、耳には耳あてをつけ、頭からフードをかぶって、目と鼻だけが出るようにして立って迎えます。

私が小さいころは大人達から「子どもは風の子、大人は火の子」なんて言われて、いつも火の近くから外に追いやられていました。 そのころはどうもその言葉がうさん臭そうで、大人が自分達の都合の良いように勝手な言葉を作って、 火のぬくもりを独占しようとしているのだと思っていました。

しかし、この頃はどうも子ども達とは身体のつくりが違うようだと考えるようになりました。どうしたらあんな格好で平気で いられるのだろうか?、寒さの感覚が鈍いんじゃないのだろうか?、なんて勝手に考えて、やっぱり「子どもは風の子、大人は火の子」 なんだと納得しています。

しかし、どんなに寒くても、また日誌を書くのが少し大変でも、元気な子ども達に逢うのが毎日楽しみで、朝7時前になると 薄暗い中を出て行き、子供たちが登校するのを待ちます。子ども達は私たちを幸せにし、私たちを元気にする何かを持っています。 きっとそれは子ども達の中にある素直さや純粋さだと思います。

私が子どもであった時には、子どもとして話し、子供として考え、子供として論じましたが、 大人となったときには、子どものことをやめました。Tコリント13:11

近頃、このようないたいけな子ども達を誘拐したり、殺したりする事件が増えてきました。子ども達の素直さや純粋さが失われない ためにも、そのような大人の身勝手を子どもの世界に持ち込まないようにして欲しいものだと思います。


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