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060326

卒業おめでとう

3月23日に喜入小学校で卒業式が行なわれました。会場の体育館には卒業生の保護者が来られるので、1〜3年はおやすみで、 4年生以上が式に出席します。

いつものように児童通学保護員として街頭に立って登校してくる彼らを迎えます。4・5年生はうきうきした様子でいつもより早めに 登校していきます。6年生は8時前後と遅い登校です。

今年の卒業生が小学校に入学する時から、毎朝街頭に立って彼らを迎えてきました。入学当初、小さな体に大きなランドセルと 背負って学校に向かう子ども達の後を心配そうに着いて歩いたお母さん方の姿が思い浮かびます。6年のうちにみな見違えるように 大きくなり、たくましくなりました。

通る子ども達と手でタッチしながら「おめでとう」と言うと、照れくさそうに小さい声で「ありがとう」と言いながら最後の登校を していきます。来月からはこの中のほとんどの子ども達が、もうここを通らなくなるかと思うと幾らか寂しくなります。

卒業した子ども達は4月から私立に行く数人の人を除いて、ほとんどが喜入中学校に進みます。喜入中学校には喜入小のほかに 生見小、前之浜小、一倉小、中名小、瀬々串小からの卒業生が通ってきます。この子ども達も中学校ではたくさんの友達を作って、 勉強に部活に頑張ってくれることでしょう。

このコラムを書いていると、卒業式を終えた今村君が訪ねてきました。いつも笑顔を交わしながら手と手でタッチして挨拶をして 通った子供の一人です。彼が神妙な顔をして、「6年間、毎朝交通整理して見守ってくれてありがとうございました。中学校になると、 もうここを通らなくなるので、お礼を言いに来ました。」といって丁寧に頭を下げました。そういえば、彼のお姉さんも卒業の時、 「6年間ありがとうございました。これからはタッチして学校に行かれなくなるのがさびしいです。」とのレタックスを送って くれたのを思い出します。いい子達だなと感激します。このような純粋な気持ちを、私が小学校卒業の時分には持っていなかったなと 思います。

私が小学校を卒業したのは、もう45年以上前のことです。屋久島の小学校でした。小学校と中学校は隣接して建てられていました。 ですから、学校の近くに住んでいた私たちは小学校の運動場でも、また時には中学校の運動場でも遊んでいました。小学校の校門を 入って正面が築山になっていて、右側に行くと校舎があり、左側に講堂が建っていました。卒業式を始め、大きな行事はいつもその 講堂で行われていました。

卒業式前になると、それぞれがノートを持って、お別れの言葉を先生や友達に書いてもらっています。卒業式当日、式が始まり、 校長先生のお話や在校生代表の送辞、卒業生代表の答辞があり、「仰げば尊し」を歌い始めるころになると、女子の間から啜り泣きが 聞こえてきました。そして、式が終わるころになると、ほとんどの女子が目を真っ赤に泣きはらしていました。

私はその時、ただただ彼女達の感情を量りかねて戸惑っていました。それというのも、小さな島の小学校です。中学校といっても直ぐ 隣ですし、メンバーも分校の生徒が4・5人加わる程度で大きな変化はありません。それなのにどうしてあのように泣けるのだろうと 不思議に思って、その光景を少し覚めた目で眺めていました。しかし、いま考えると先生に対する感謝と懐かしい校舎でもう授業を 受けられない悲しさ等が彼女達のうちに去来していたのだと思います。すべては彼女達の心の優しさ、愛のなせるわざだったと 思いました。

私たちがあなた方を愛しているように、あなたがたの互いの間の愛を、またすべての人に対する 愛を増させ、満ち溢れさせてくださいますように。Tテサロニケ3:12

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