060423
「人生の失敗」?
妻が本を見ながら、「あなた、元甲子園球児で坂本さんて知ってる?」って聞いてきました。「それひょっとして《バンビ》のことかな」 と言いながら、妻から渡された本を見てみると、そこには「人生の失敗」というタイトル記事があり、29年前「バンビ」の愛称で甲子園を 沸かした大投手、坂本佳一さん(40代半ば)が会社員としてスーツ姿で写っていました。
彼は愛知県の東邦高校の一年のとき、彗星のごとく現れて、甲子園でもエースとして次々に強豪校を倒し、決勝戦で兵庫県の東洋 大姫路と熱戦を展開し、延長戦で惜しくも敗れた豪腕投手でした。決勝で敗れたとはいえ、中学を出たばかりの一年生ピッチャーで、 各高校の強打者をきりきり舞いさせた彼の今後の活躍が大いに期待されましたが、その後、彼の活躍を全国のファンが目にすることは ありませんでした。
記事のタイトルもあって、彼のことが気になった私はその本を読んでみました。彼は名古屋市内の余りクラブ活動が盛んでない 中学校の、ユニホームも選手の数に足りないような野球部に入りました。しかし、意外なことに彼はそこで正選手になれなかったと いうのです。
中学卒業を前にして彼はマリナーズのイチローや巨人の工藤投手を輩出した野球の名門、名古屋電気《現愛工大名電》の野球部の セレクションを受けに行きましたが、不合格でした。そこで、彼は野球の名門東邦高校の一般入試を受けて一般の生徒として 入学しました。東邦も1学年80名から100名もの部員がいる強豪ですから、彼はその中に埋もれてしまわないようにと、入学式が終わると その足で野球部の監督のところに行き、入部を申し出ました。
その年は野球の特待生として入学した5人がいて、入学式前からすでに部の練習に参加していたそうですが、5人だと キャッチボールするにも中途半端だということで、彼はその特待生と一緒に練習することが許されました。そのうち、監督は彼の うちにある非凡な能力を見つけて、彼を鍛えてわずか半年で東邦のエースに仕立て上げました。
1年生の彼がマウンドを守る東邦は地区予選を勝ち抜き、決勝では彼が入れなかった名古屋電気を下して、甲子園への出場を 果たしました。そして、甲子園では5試合をひとりで投げぬき彼の名は一躍有名になりました。
しかしその後は、良い成績を残さなければいけない、残して当然との周りからのプレッシャーに、よりハードな練習をするうちに 肩を痛めて思うように投げられなくなってしまいました。しかし、マッサージをしたり、鍼に行ったりとごまかしながら3年間は 何とかやってきました。
そして、大学の名門法政大学に入学することはできたけれども、こんどはひじを壊して満足に投げられなくなってしまいました。 彼は法政のチームをスタンドから応援する立場になってしまったのです。しかし、彼はここで始めて気付いたことがあったのです。
「最初は、野球をやっている以上は試合に出て活躍したいと言う目標がありながら、何で自分のチームがやる試合をスタンドで見て、 勝ったら手をたたかなければならないのか、そう思って、すごくつまらなかった。だけど高校の時は、2、3年生の先輩たちがこんな 気持ちで俺のことを見とったんかな、当時、甲子園のアルプススタンドで僕を応援してくれた3年生や2年生がどんな気持ちでぼくの ピッチングを見てたんかな、ということを、初めて考えることができた。」
私はこれを読みながら、確かに彼は野球では挫折したかもしれませんが、この挫折によって初めて弱い者の立場に立つことができた。 彼の人生では最も大切な大きな収穫を得ることができた成功者だと思いました。人生を大木にたとえるなら、青々と茂り枝を張った 見える部分より、見えない土中の根がどれだけ深く、広く張っているかが重要なことだと思います。
挫折経験は人を強くし、物事に動じない大きな人間を作り出します。この根が人生を支えるからです。また、自分の弱さを知るとき 初めて、真に見えなければならないものが見えてくるのです。
苦しみに会う前には、私は過ちを犯しました。しかし今は、あなたの言葉をまもります。・・ 苦しみに会った事は、私にとって幸せでした。私はそれであなたのおきてを学びました。詩篇119:67,71