060521
匠の技
「良い仕事してますね。」とうなりながら作品を褒める中島鑑定士の言葉が有名になりました。私の目にはただの壷や皿にしか見えない ものが、鑑定士の目には至極の宝石のように見えているのだと思います。そして、この作品は何時代のどこで造られた○○作家の初期の 頃の作で、こういう特徴がありますと事細かに一つ一つの作品に説明を加えます。作品もさることながら、その一つ一つを詳細に 説明される鑑定士の知識の広さに、「まさしく、あなたもこの道を究めた匠と言えますね。」と感心させられます。
世界にはいろいろな達人と言われる人が多くいます。前回紹介した「きまぐれ読書通信」にオリックス時代のイチローがワンバウンドの 球を打ち返してヒットにした話が書いてありました。「狙って打ったはずはないし、止めようとしたバットが止まらず、振って しまったらたまたまヒットになったのだろうか。しかし、打ったのがイチローだけにさすがと言いたくなる。」と言うようなことが 書いてありましたが、私は彼が狙って打ったのだと思っています。彼は大リーグに行ってからも同じようにワンバウンドの球をヒットに したことがありました。彼の中ではストライクかボールかの前に、打てる球かどうかが判断の決め手になっているように思えます。 ある意味微妙に変化してきたり、うなり声を上げてホップしてきたりする球を打つより、ワンバウンドしてスピードと変化を失った玉の ほうがバットに合わせやすいのだと思います。しかし、そのような低いボールをどのようにヒットにするかは、かなりの技術が要求 される職人技になることでしょう。
野球に限らず、すべての世界で道を究めるようとする人は、その為のあらゆる努力をします。私の学生時代、野球部の先輩にTさんと 言う学生野球では少し名の知れた投手がいました。ハードな練習が終わって、みな疲れ果てた体でとぼとぼと帰路についている傍らで、 さらにグラウンドを何週も走り続けている彼の姿がいつも見られました。
また、同じくHさんというホームランバッターもいました。彼の頭の中は如何に球を遠くに飛ばすかしかないように、野球のこと ばかり考えているように見えました。彼は食事の時にも、バットの感触を忘れないようにと左手にバットを握って食べていました。
両人ともプロからの誘いもあったようですが、結局二人ともノンプロに行って活躍されました。プロの世界というのはそのような 人たちの集まりで、私たちの想像を超えた努力や技術の先端にあるものだろうと思います。
先出の「きまぐれ読書通信」の中には、中村敦の『名人伝』の感想として「スポーツでも武術でも、また芸能の分野でも、その道の 奥義を究めるということはストイックな努力なしではできない。そのひとつのものに集中しなければ無理な話だ。その努力は、名誉とか 金銭とかの世俗的なものとは吹っ切れたところに成り立つものだ。・・・・(しかし)究めつくすということは、まったく究めない ことに等しいようにも思える。究めつくすことは現実の人間には不可能なことである。それは我々にとって幸福なことなのかも しれない。」と結んでありました。これらを考えていると、知恵者と呼ばれ、あらゆるものを究めようとしたソロモンの「伝道者の書」 を思い出しました。それは次の言葉で始められています。
空の空。伝道者は言う。空の空。日の下で、どんなに労苦しても、それが人に何の益になろう。・・・ 私は、日の下で行われたすべてのわざを見たが、なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。 伝道者1:2〜3,14
一生懸命努力することは美しいことです。しかし、すべての者がやがて死んでいく。死に備えないところの努力は、むなしいものに なる。ソロモンの結論は次のようになっています。
結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。 これが人間にとってすべてである。伝道者12:13