060702
物を大切に
朝の児童通学保護員として街頭に立っていると、小学3年生の女の子がふたり、傘で道に落ちた何かを指して、見ています。 なになに?と近寄ってみると、子供の絵が載った小さなタオル地のハンカチが落ちていました。
どう見ても先に登校した子供が落としたものに違いありません。そこで彼女達に「これ先に通った子どもが落としたものだと 思うから、先生に持って行って落とした人を捜してもらって。」と渡そうとしたら、「だめ、だめ途中で拾ったものを学校に持って 行ったら先生に怒られるから。」との返事が返ってきました。
一瞬耳を疑いましたが、先生としてもそんなものを持ち込んでもらっても迷惑なのかもしれないなと思い直しました。まず、名前が 書いていないので、何年生のどのクラスに持っていったら良いかわかりません、かといって全体朝礼で落とし物を見せても、 落とし主が名乗ってくることは殆どないのでしょう。近頃は教室に鉛筆や消しゴムがたくさん落ちていても、拾おうとしないそうです。 たとえ、落し物の中に自分の名前が書かれたものがあったとしても、それを取ろうとしないというから驚きです。多分、無くしても 代わりの物をすぐ買ってもらえる環境があるからでしょう。
ああ、豊かになるということは一つ一つのものに対する愛情が薄くなることなのでしょうか。物を大切にする心というのは昔と今では 随分変わってきてしまったと残念です。わたし達が小学生の頃は鉛筆も消しゴムも貴重品でした。教科書は近所の人に譲ってもらって 使ったことがありました。学校給食がまだなかったので、小学生もみな弁当を持って学校に行きました。小学5年生のある日、担任の 小倉先生が明日からお弁当は、お芋を持ってくるようにと言われたことがありました。最初は「エー、何で?」と思いましたが、 当時お弁当を持ってくることができない子がいたのを後で知りました。また、おなかが異様に膨れた子もいました。今思うと栄養が 足りなかったのだと思います。
私は世界の飢餓のお話をするために色々な学校に行かせていただきますが、今どこでも給食の残食が多いのに困っています。 美味しい物をたくさん食べていて、口に合わないものは捨ててしまう、それでなんとも思わないような風潮があるのです。わたしが 大学のとき、佐賀の田舎から来た学生が「お米の一粒たりとも、農家のお百姓さんの苦労を考えたら捨てたらいけない。捨てたら目が つぶれる。」と言われて育ったと言っていました。それに比べて、2002年の資料ですが、日本の食糧輸入量・約5800万トンに 対して、日本の食品廃棄量・約1940万トン(厚生省資料より農林水産省推計)という結果が出ています。つまり輸入した食品の 3分の一は捨てられている計算になります。
世界には食べられないで死んでいく人が1日2万5千人以上もいるのに、私たちは片方では輸入しながら、一方で捨てているのです。 一つ一つのものを大切にすることは、ひいては自分を大切にすることにつながり、またそうすることが、他人をも大切にすることに つながると思います。日本が貧しかった時には、今よりも、もっと他人の痛みを共有でき、他人に対する思いやりを持てていたように 思います。
たくさんの物に囲まれ、豊かな生活ができている私たちは、今ここでもう一度、すべての恵みに感謝するよう心がけましょう。また、 豊かな心を養えるように、物を大切にし、周りの人に愛情を持てるように気をつけてまいりましょう。
野菜を食べて愛し合うのは、肥えた牛を食べて憎み合うのにまさる。箴言15:17
優しい心、日本人の美徳である思いやりは、物を大切にすることから始まるのではないでしょうか。