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061105

飢餓の学習会

食料デー鹿児島大会に先駆けて、喜入町内の二つの小学校で飢餓についての学習会を、大会講師の日本国際飢餓対策機構の 田村治郎先生にしていただきました。

先生には朝10時喜入着のJRの電車で来ていただき、15分ほど教会で雑談等をした後、午前中の授業予定である生見小学校へ 向かいました。小学校では校長室に通されて、山口校長と時間までしばらく歓談しました。

山口先生とは家庭教育の講演会等で何回もお会いして、またこの学校でも何回か講演会をさせていただいているので、親しい交わりの うちに、近頃の子ども達の状況とかを聞かせていただきました。それからお話の会場の体育館に向かいました。4年生から6年生までの 全員が集まっても40名ほどの小さな学校です。

田村先生がプロジェクターを用いて、アフリカの現地の子ども達の様子を詳しく教えてくれました。中にはスーダンで1993年、 写真家ケビン・カーター氏によって撮られた「ハゲワシと少女」の写真が出てきました。写真には11〜12歳の少女が写っていますが、 飢餓で痩せ細り4、5歳の子供にしか見えません。その子が力尽きてうずくまっている背後に、その子を狙っているハゲワシが 写っています。ハゲワシは死んだ動物の肉しか食べないそうなので、その少女が死ぬのを待って、後ろから密かに着けて 来ていたのです。この写真を見た子ども達は大きなショックを受けたようでした。

さらに子ども達は、これらの出来事が私たちと全く関係ないところで起こっていた訳ではないことを次に聞くことになるのです。 それは、1993年スーダンの人々の主食であるソルガムという穀物を、日本が大量に輸入していたと言うことです。もちろん私たち 日本人はソルガムという穀物など食べたことがありません。それなのにどうしてそんなに大量に輸入していたのか疑問が残ります。 しかし、直ぐその疑問が解けました。それはやわらかい肉質の家畜を作るために、家畜の餌として輸入されていたと言うことを 田村先生が教えてくれたからです。

そういえば10数年前日本の米が冷害等で不作になり、外国から輸入するということがありました。そのとき、細長いタイ米という お米も大量に東南アジアから輸入されました。しかし、買っては見たものの日本人の舌に会わなかったらしく、公園等にたくさん 捨てられてしまいました。しかし、そのとき東南アジアではお米の値段が急騰して、食べられない人がたくさん出たという話を 思い出しました。

田村先生が、日本では毎年3億人分の食物を輸入し、1億人分の食物を捨てているということも教えてくれました。飢餓は私たちと 全く関係ないところで起こっているわけではないのです。

午後から田村先生と中名小学校に行きました。今度は3年から5年までの約70名の前でお話してくれました。集会の最後に生徒の 代表が、「私たちのかねての食生活を見直し、出来ることから始めて行きたい。」と感想を宣べてくれました。

「さあ、私の父に祝福された人たち。世の初めから、あなた方のために備えられた御国を 継ぎなさい。あなた方は、私が空腹であった時、私に食べる物を与え、私が渇いていた時、私に飲ませ、・・・」。すると、正しい 人たちは答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、 飲ませてあげましたか。・・・』。すると、王は彼らに答えて言います。「まことにあなた方に告げます。あなた方がこれらの私の 兄弟たち。しかも最も小さい者達の1人にしたのは、私にしたのです。」マタイ25:34〜40抜粋

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