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異年齢間の交わり

今の子ども達は異年齢間の交わりが、私たちのころからすると随分少なくなってきているように思います。昔は、近所のお兄さん達 との交わりがたくさんあり、それによって、知識を広め、様々な実地訓練を通してたくさんのことを教えてもらっていました。

私が小学校下学年のころ私の田舎には、どこの家にもまだ水道がありませんでした。2,3軒先に共同の井戸がありましたが、海が 近いために飲み水には使えませんでした。そこで、夕方になると近所の上級生が皆を集めて、学校まで水汲みに連れて行ってくれて いました。当時学校だけは山手から竹をくりぬいた水道管で水を引いていて、大きなタンクから自由に汲めるようになっていました。

毎日夕方になると、大きなバケツを持った上級生に続いて、小さなバケツや空瓶を持った下級生が、後ろをぞろぞろついて水汲みに 向かいました。水を汲んで帰る途中に、上級生のお兄ちゃん達が水の入ったバケツをぐるぐる回すのを見て、「何でこぼれないんだろう。 お兄ちゃん達すごいな。」と憧れの目で見ていました。

また、私が上級生になると、今度は中学生のお兄ちゃん達が山の中に連れて行き、鳥を捕まえる罠の仕掛け方や、枝に止まった鳥を 捕まえるための鳥餅の作り方などを教えてくれました。そのほかにも、舟の艪の漕ぎ方やうなぎの罠の仕掛け方など、みんな近所の お兄さんたちが教えてくれたものでした。

昔はそのような異年齢間の交わりによって、学校や家庭では教わらない日常生活のもろもろを知ることができました。また、それらの 交わりによって、小さい子ども達に対して思いやる気持ちや、労わる気持ちも自然と育まれていった様に思います。

先日、喜入小学校で「世界の食糧事情と飢餓」についてのお話をし、その後校長先生と交わっていたら、先生から次のような話を 伺いました。

先生がまだ小学生のころ、近所の中学生や高校生が一緒に遊んでくれていたそうです。ある日、みんなでピクニックに行った時、 先生が自分のお弁当を川の中に落としてしまいました。すると、高校生のお兄ちゃんが「みんなのお弁当を出すように。」と言って、 弁当のふたにみんなのお弁当から少しづつ集めて、彼のためのお弁当を作って渡してくれたそうです。

昔はこのようなお兄ちゃんが近所にたくさんいて、制服を着た高校生が妙に大人に見えて、よく尊敬の対象になっていました。 そして、自分も大きくなったらあのような高校生になりたいと憧れました。身近に目標となる先輩がいたということは、自分を高める ことに大いに役立ったように思います。

私が5年生のころのことです。私の周りには近所の小さい子ども達がその日も集まって来ていました。私はその子達を連れて学校に 行き、校舎と運動場の境にある小さな溝に溜まった土を上げるように指示し、みんなできれい掃除をしていました。すると、1年生の 男の子が「お兄ちゃん。僕たち良いことをしているよね。こんなの先生に見られたらきっと褒められるだろうね。」と嬉しそうに 言いました。するとそのとき、校舎の窓ガラスが、ガラガラッと開いて「ああ。褒めてあげるよ。君たち偉いね。」と言って先生が窓から ニコニコ笑いながら顔を出されたことがありました。良いことをするとき、心に何とも言えない喜びが湧いてくることも、先輩方に 教わったことだったと思います。

指導者がないことによって民は倒れ、多くの助言者によって救いを得る。 箴言11:14

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