061210
また1年が過ぎ様としている
今年も早、師走を迎え、1年が過ぎようとしています。数年前まで、この時期になると必ず母から「本屋に行って、来年の日記帳つき の家計簿を買って来て。」と頼まれていました。母は80歳ごろまで毎日、几帳面に家計簿とその日の出来事を書き込んでいました。
私が小さいころ、母が家計簿をつけながら「あら1円足りない。どうしたのかしら。」と探している姿を時々見かけました。私はそれ を見ながら、この家のお金のすべてが管理されているんだと信じていました。だから、たとえ家の中に落ちている1円でもポケットに 入れたら、直ぐばれてしまうだろうと恐れていました。
あれは母が、私たちがお金をくすねたりしないように計画的にやっていたことなのか、それともほんとに箪笥の隅に眠っているように 見られた小銭までしっかり管理していたのかは、母が認知症になってしまった今となっては知る由がありません。
さて、今年も「そろそろ、来年の家計簿を買ってきてくれないかい。」との母の言葉を懐かしく思い出す時期になり、月日が過ぎ去る 速さを痛感させられています。
私も今月で58歳の誕生日を迎えます。会社に勤めていると、定年退職後の身の振り方を真剣に考えないといけない歳になってしまい ました。この歳になると、月日の流れるのがすごく早く感じられます。
小さいころは、あたかも鈍行列車に乗って旅するように、毎日がゆっくり流れていました。ソフトボールをしたり、相撲を取ったり、 魚釣りをしたり、木に登って遊んだりと暗くなるまで、毎日裸足で走り回りながら、長い一日をたっぷり楽しんでいました。
そして、中学、高校生ごろになると、そのスピードが少し増して急行列車に乗り換えたようで、周りを見て楽しむ余裕が少しずつ 減ってきて、試験や部活に追われる日が増えてきました。
そして、社会人になるとさらにスピードが増し、まるで特急列車で移動しているかのように、目先の仕事に終われ、周りを見て楽しむ 余裕もほとんどなくなってきて、毎日毎日ノルマの達成のために、ひたすら走り回っていました。
そして還暦を目前にした今は、新幹線の中にいるようで、ただぼーっとしている間に、1年1年が超特急で過ぎ去ってしまうように なりました。
人生は私たちが思っているより数倍早く過ぎ去ってしまいます。毎日をただ漫然と過ごすのではなく、悔いのないような充実した 毎日を過ごしたいものだと思います。そのためには「人は何のために生きているか」の目的がはっきりしないと、真に有意義な人生を 送ることはできません。
すなわち、私たちを創り、生かしておられる神様の存在を無視して過ごしていては、生きる目的など到底見えてきません。その様な 考え方をしていては、誰でも最後は死んでいくのだから、面白おかしく楽しく生きた方が得だという人生になりかねないのです。
人は長年生きて、ずっと楽しむがよい。だが、闇の日も数多くあることを忘れてはならない。すべて 起こることはみな、むなしい。若い男よ。若いうちに楽しめ。若い日にあなたの心を喜ばせよ。あなたの心の赴くまま、あなたの目の 望むままに歩め。しかし、これらすべてのことにおいて、あなたは神の裁きを受けることを知っておけ。・・・・
あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。災いの日が来ないうちに、また、「何の喜びもない。」 という年月が近づく前に。伝道者の書11:8〜12:1
1年の歩みを振り返る年末に主の御降誕の意味を考えるクリスマスがあることは、素晴らしい恵みだと思います。イエス様は私たちを 創造されたお方を示し、救いの恵みを与えてくださいました。皆さんが創造主なる神様を受け入れ、創造の目的の沿った、悔いのない 人生を送られることを切に望みます。