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070311

孫の写真

随分前のことになりますが、以前会社で同僚だった友人がひょっこり家に訪ねて来てくれたことがありました。彼を応接室に招くと、 彼はソファーに座りながら、おもむろに上着の内ポケットから免許証を取り出し、その中から大切そうに何やら取り出して、「おい、 見てくれよ。」と言って、私に差し出しました。

覗いて見ると、それはかわいい女の子がにっこり笑ってこちらを見ている写真でした。彼は「おい、かわいいだろう。俺の孫だよ。」 と言って、「この子はね、俺の家の近所に住んでいる娘の子で、時々『おじいちゃん』と言って家に遊びに来てくれるんだ。」と 嬉しそうに話し続けます。

その当時私は、孫はおろか、結婚している子供さえもいなかったので、孫ってこんなにもかわいいものなのかなと思って、感心して 彼の語る孫の話を聞いていました。

それからしばらくして、東京でジャック・ヘイフォード師の講演を聴く機会が与えられました。彼は次のように話しながら講演を 始めました。「おじいちゃんになると孫の話をしたがるようになる。孫の話は本人が思っているほど傍で聞いている人は面白くない。 だからあんまり話したらいけないと私は知っているので、今日はひとつだけにしようと思います。」「えっ、やっぱり話すんだ。」と 思っていると、彼は孫とのエピソードをおかしそうに話し始めます。話が終わると、「孫と言うのはかわいいものなので、ついつい孫の 話をしてしまってすみませんね。ついでだから、もうひとつお話しますねと笑いながら、私には○○という孫がいて、・・・・」という 調子で、孫とのエピソードを結局5つもおかしそうに話されました。

一つ一つのお話は面白くて、みな笑いながら聞かせていただきましたが、同時におじいちゃんにとって孫のかわいさも何となく 分かってきました。しかし当時、孫のいなかった私にはもうひとつ実感としては伝わってきませんでした。

それが先月、ついに私たち夫婦にも初孫が誕生しました。残念ながら遠く離れた群馬にいるので、まだ会えないのですが、先日 かわいい孫の写真が送ってきました。顔をくしゃくしゃにして泣いている写真(それでもかわいい)、ちっちゃいちっちゃい足の裏に 「サタ」と書かれた写真(私、サタさんちの子と主張しているみたい)、産湯に浸かりながら抱えてくれているお母さんの顔をじっと 見ている写真(落とさないようにしっかり持っていてよと言いたげ)、また、ミルクを飲みながら哺乳瓶をしっかりちっちゃな両手で 押さえている写真(まだ飲むんだから持ってかないでよ。)等々。

また、私たち夫婦が送った産着をあれこれ着せ替えて、孫を写して送ってくれるお嫁さんの優しい気遣いにも感謝しながら、妻と 二人で何度も何度もそれら一つ一つを見返しました。

そして、それらの中の余りにもかわいい2枚の写真は、いつでも好きな時に見られるように、私たちの居間のテーブルの上に 飾られました。

これからはかわいい孫に会いに行く日を楽しみにしつつ、送られた写真を見る日がしばらくは続きそうです。また、今後はこの コーナーを、孫のことがたびたび飾るようになるかなと多少心配しています。あまり、しつこくならないように気をつけないといけないと 自戒していきたいと思います。

孫たちは老人の冠、子らの光栄は彼らの父である。箴言17:6

人が孫の姿を見るまで長生きできたら、それは主からの祝福だと聖書は教えています。これからは孫の成長を、子育てに比して責任の ない気楽な立場で楽しんで行きたいと思っています。


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