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070318

オンリーワン

三男の卒業式の時の最後の学級会で驚いたことがありました。それは、その会でクラスの一人ひとりが高校時代の思い出を語って くれたのですが、たくさんの人が「このクラスの人は頭が良いので、私のような能力のない者は付いて行くのに大変でした。」 と劣等意識を持っていたことです。

この高校は県内では有名な進学校です。県内の中学校からトップクラスの子が集まってきて、毎年T大に数十名の人々を 送り出す優秀な高校です。ですから、この学校に劣等意識を持っている人がこんなにたくさんいるとは夢想だにしないことでした。

そういえば以前、この高校に通うM君のお母さんが次のように言うのを聞いたことがありました。「中学時代は天才だと 思ったけど、高校に来たら只の人。」

このことから、人間はどのような環境の中でも、常に他人と比較して、優越感や劣等感を持ちながら生きているんだな と教えられました。

先日教会の集会で中学生を持つお母さん方が「良い高校に入れて、レベルの高い所で競わせた方が子供が伸びるのか、 あるいはランクを下げて違う高校で上位にいたほうが伸びるのかどちらが良いか」と話していました。

私はそれを聞きながら、本人の意識の持ち様ではないかなと思いました。劣等意識は本人の能力の成長を制限 してしまいます。しかし、優越意識はその人を傲慢にしてしまいのっぴきならない人格を形成してしまいます。

大切なことは人と比較しないで生きることではないでしょうか。人間は神の前では小さな弱い存在であり、所詮どんぐりの 背比べ、自分を誇ったところでしょうがないし、劣等意識を持つ必要も全くありません。人間地道にへりくだって努力している 者が恵みを受けるのです。

聖書の中にタラント(才能)のたとえと言うのがあります。5タラント預かった者がそれを活用し、さらに5タラントを儲け、 2タラント預かった者もそれを活用して2タラントを儲けました。それに対する神の評価は全く一緒でした。

これは私たちには生まれながらに与えられたタラントの違いがあり、自分に与えられたタラントをどのように活用したかが 重要なのだと言う事でしょう。先ほど申し上げたように、優越感や劣等感はどちらも決して良い結果を生みません。 人との比較に生きることによって私たちは常に煩わされてきたのです。ですから、そのような生き方をやめ、自分が努力したか どうかで自分を評価するようにすることが重要ではないでしょうか。また、それが神の目での評価でもあると教えています。

また、この世の勝ち組といわれる大企業の人、お金持ちが必ずしも幸せではありません。私が小さい時は冷蔵庫や洗濯機、 水道さえもありませんでした。しかし、どこの家もそうでしたから、ちっとも不幸だとは思いませんでした。また、お店が近く にありませんでしたので、しょうゆやソースの貸し借りをしながらみな仲良く暮らしていました。

しかし、その後の高度成長によって日本は世界で有数の豊かな国になりました。車を持ち、立派な家に住み、素敵な洋服を着、 ブランド物のバッグを持って歩けるようになりました。しかし、果たしてそれで、昔より幸せになったと言えるでしょうか。 どのような環境においても、人と比較して競争しながら生きているならば、その人は平安を失い幸せを実感できません。

なぜなら、幸せは人との比較による豊かさによらないで、心の平安と愛し合う関係の中から生まれてくるからです。

今日から私たちは人との比較による生活から、神によって評価される生き方に変えていきましょう。神が私たちに祝福を注いで くださいます。

その主人は彼に行った。「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかなものに忠実だった から、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。」マタイ25:23

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