070513
「母の日」に寄せて
(作:牧師夫人 佐多多視子)
私の母は小学校の教師をしていました。母はとても聡明で、情け深い人だったので、みんなに慕われていました。
私が小学生の頃のことです。その時住んでいた家を買い取るか、引っ越すかを迫られる状況が起きました。父と母は悩んだあげく 買い取ることにしましたが、その当時、ローン制度などはなかったので、母が親戚や知人に頭を下げて借金をし、家の購入費用を 工面しました。
それからは、早く借金を返したいとの思いで、極度の耐乏生活が続きました。冬はすりおろした大根おろしがテーブルの真ん中に おかずとして置かれていただけで、家族でそれをつついて食べていました。春になると、私と妹は近所の土手で土筆取りをしました。 そして、それが夕食の佃煮や翌朝の味噌汁の具になっていると、自分達も家族の役に立っているとの思いで、嬉しかったのを覚えて います。
土筆が旬を過ぎると、次は家族揃って貝掘りに出かけました。私たちは父と母の自転車の後ろに乗り、海岸を目指しました。 耐乏生活が続きましたが、土筆取りは、れんげ摘みのようで、貝掘りに行く時は、家族のサイクリングように毎日が楽しかったので、 その時の生活がすこしも辛い思い出としては残っていません。豊かな生活ができなくても、家族揃っていることの幸せを実感していたと 思います。
このような体験があったので、やがて夫が牧師として献身した後の耐乏生活で、子ども達に毎日おかゆを食べさせることが できたのだと思います。
また母は定年退職後、イエス・キリストを信じクリスチャンになりました。そして、父の義母や自分の母親の介護を献身的にして 最後まで仕えました。
また、私の長男がT大医学部に合格した時、下の妹が牧師をしている教会で証しの集会がもたれました。その時、その妹が司会をし、 合格体験の証しを長男がして、夫が彼の証しに基づいた信仰のメッセージをしました。そして、最後にもう一人の妹がお祈りをしました。 その時、母は非常に喜んで、「神様はちゃんと見ていてくださった。苦労してきた甲斐があったよ。お母さんは本当に嬉しかった。」と 言っていました。母は、子ども達にも苦労をさせてしまったが、今その子供たちや孫が立派に成長した姿を見て、感慨もひとしお だったのだと思います。
三浦綾子さんの本に、天地万物の造り主なる神様の愛が分かるために、母親という存在が置かれていて、無償の愛を教えているのだと いうのがありましたが、母のことを思うたびに、その言葉が真実であったことを実感いたします。
母を通して教えられた多くのことを、心に刻みつつ、母を手本として、神様の知恵をいただきながら、周りの人たちに接して 行きたいと思います。
彼女は力と気品を身につけ、微笑みながら後の日を待つ。彼女は口を開いて知恵深く語り、その舌には 教えがある。彼女は家族の様子をよく見張り、怠惰のパンを食べない。その子達は立ち上がって、彼女を幸いな者と言い、夫も彼女を ほめたたえて言う。『しっかりしたことをする女は多いけれど、あなたはそのすべてに勝っている。』と。 箴言31:25〜29