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070812

幸せな人生の秘訣[

私達の幸せのベースは、心の平安と喜びです。私たちが外的要因に左右されない心の平安と喜びを持つためには、3つの要因つまり、 罪の問題の解決、全き信頼を置けるものの存在と愛されていることの実感をクリアする必要があることを先週お話しました。

まず、私達の罪の問題ですが、私たちは罪を犯すとき、不安や恐れが心を覆って平安と喜びを奪います。私が小学校の低学年のころの ことです。私の家のお隣に教頭先生のお宅がありました。あるとき小学校の上級生に、お隣の教頭先生の奥さんから借りた糸を返して くれと、厚紙にぐるぐる巻いた裁縫糸を渡されました。私は「いいよ。」と言ってそれをポケットに入れたまま数日間渡すのを忘れて しまいました。しばらくしてそれを見つけた私は、「今更それを渡すのは恥ずかしい。」との思いが入ってきて、渡せなくなって しまいました。それからというもの教頭先生の奥さんの顔と上級生の顔を見ると不安や恐れが心に入ってくる様になってしました。

どんな小さな罪でも、私達の心から平安を奪い、幸せを実感できなくしてしまいます。ですから、人のものを盗んだり、人を だましたりして贅沢な生活をしている人を羨む必要はありません。外見は幸せそうに見えても、心の平安を失って、真の幸せを実感 できることはないのです。すべての罪は私達の幸せを奪います。

しかし、この世で生活する者で罪を犯さない人は誰もいません。誰でもつい嘘をついたり、他人を批判したり、憎んだり、妬んだり、 人の不幸を喜んだりと様々な罪を犯してしまいます。もちろん、それらの罪は法的には問題ないのですが、私達の幸せを奪うには 十分なのです。

一百姓から天下を取った、多くの人々の憧れの的である豊臣秀吉の辞世の句は「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」でした。彼の全てをなげうっての自分の栄光のための努力は、彼を幸せにしなかったのです。それは、中東で大きな勢力を 持ち、栄華を極めたと言われたソロモン王が幸せを得るために権力や、名声、富、快楽を追い求めたことが徒労に終わり、「空(くう)の 空、一切は空、風を捕らえるようなものだった。」と言った言葉と共通しているところがあります。

さらに徳川家康は遺訓として「人の一生は重荷を負ふて遠き道をゆくがごとし… 怒りは敵とおもへ」と教えています。彼のように 成功を収めた人物でさえ「私の人生は幸せ、幸せの連続だった。」と言ったのではなくて、「人生とは苦労の連続だ」と言ったのです。 そして、最後の「怒りは敵と思え」との言葉には大きな示唆が含まれています。即ち、幸せを実感するのは外的な問題ではなく、心の 問題であり、憎しみや怒りなどの罪は結果的に自分を不幸にすると教えているのです。

私たちが今日まで犯して来た小さな罪の数々が私達の心の平安と喜びを奪い、幸せを実感できなくしてきたのです。私たちが真の 幸せを実感するためには、罪の問題が解決される必要があるのです。私達を愛しておられる創造主なる神様は、私達に平安と喜びを 与えるために、神の御子をこの世に送ってくださり、御子が私達の代わりに罪の負債を支払うことによって、罪の問題を解決して くださいました。その方法は御子が生まれる以前から聖書を通して預言されていたのです。

まことに、彼は私達の病を負い、私の痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に 打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私達の背きの罪のために刺し通され、私達の咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私達に 平安をもたらし彼の打ち傷によって、私たちは癒された。私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分勝手な道に向かって 行った。しかし、主は、私達の全ての咎を彼に負わせた。イザヤ53:4〜6

この言葉はイエス様が生まれる700年以上も前に預言者イザヤを通して預言された言葉です。神様のこの愛を素直に受けいれ 信じる時、私たちは罪の赦しの経験をすることができます。これは理屈ではなく、真理なのです。あなたも神の愛を受け取って平安を 得てください。


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