070826
幸せな人生の秘訣]
いよいよこのコーナーも最終回を迎えました。今回は幸せな人生を送るために、非常に重要な「愛されている」という事実とその 実感を持つことについて考えていきましょう。
昔ドイツで次のような実験が行なわれました。生まれたばかりの雌猿を母猿から離して、猿のぬいぐるみを置いた部屋で、食べ物 だけを与えて育てました。やがてその雌猿が成長し子猿を生んだ時、その雌猿は子育てを放棄しただけでなく、虐待さえしたと 言うのです。つまり、愛される経験のないものには、愛することもできません。
人間も同様に愛されること無しに、幸せになることはできません。愛されることを通して、自分は価値ある存在であることを 実感することができます。
以前、自暴自棄に陥った、ある女子高校生が次のようなことを話していました。「自分が物心つくころから、母親に『あなたは 避妊に失敗した子なの。本当は、あなたなんか欲しくなかったのに。』と言われて育ちました」。彼女は母親の言葉によって、自分を 価値ある存在とは認められなくなり、低いセルフイメージを持って生活するようになってしまいました。
あるとき道を歩いていて道端に生え出た雑草を見たとき、「あっ、これは私と一緒だ。」と思ったと言うのです。それは、皆に必要と されなくて、嫌がられているのに、それでも一生懸命生きようとしている自分とダブって見えたからでした。
これを聞いて私は心が痛みました。母親の心無い言葉によって、彼女は不幸な人生を余儀なくされてしまったと思ったからです。 人は愛される体験がないと自分の価値を認められず、幸せになることに罪責感さえ覚えます。
それでは彼女のような生い立ちの人は生涯、幸せとは無縁の生活を続けなければならないのでしょうか。いや、大丈夫です。ここに、 私たちが知らなければならない、素晴らしい福音があります。それは、全ての人が創造者なる神様によって深く愛されているという 事実です。神様は人を愛の対象として造られ、一人ひとりを個人的に大きな愛で愛しておられるのです。
私の目には、あなたは高価で尊い。私はあなたを愛している。イザヤ43:4
私達の不幸は神の愛を拒否し、神の愛から離れて生活を始めたことから始まりました。最初の人間アダムとエバはエデンの園で神様の 愛の中で生活していました。まさしくそこはパラダイスだったのです。しかし、彼らがサタンに騙され神の愛を退けた結果、人生を 不幸が覆うようになってしまいました。私たちも、そのとばっちりを受けて、悩みの人生を送ることを余儀なくされてしまったのです。 そこで神様は、私たちがもう一度神の愛の中に帰ることができる道を開く為に、御子イエス様を遣わして下さいました。そして、 イエス様が私達のために十字架に掛かって、救いの道を開いてくださいました。
私が道であり、真理であり、いのちなのです。私を通してでなければ、だれひとり父のみもとに 来ることはありません。ヨハネ14:6
神様の方から、もう一度神の愛の中で生きる道を開いてくださったのです。後は私たちが無条件で与えられる、その愛を受け取るか どうかにかかっています。愛は心を開いて受け取ることがない限り実感することはできません。すなわち、私たちが神の愛を受け入れ、 心を開いて神の前に問題を持って心からお祈りするならば、神の慰めと励ましが臨み、勇気が与えられ、心を平安が覆うような経験を することができるのです。そのように、愛は体験を通して初めて受け取ることができるからです。神様は私たちが神の愛を体験し、 それを持って互いに愛し合う幸せな社会を形成することを望んでおられます。
神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私達に、いのちを得させてくださいました。ここに、 神の愛が私達に示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、なだめの供え物としての御子を遣わされました。 ここに愛があるのです。愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。 Tヨハネ4:9〜11
あなたは神に愛されています。その愛を受け取って実感することによって、幸せな人生を自分のものとしてください。