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070916

米寿を迎えた母

母の米寿のお祝いに、市役所の方と民生委員のお二人が賞状とお祝い金を持って来られるとの連絡をいただきました。いきなり 来られても認知症の母は実情を理解できないので、あらかじめ紙に書いて母に渡して、お迎えする準備をしました。母は話しても なかなか理解できないのですが、紙に書いて渡すと何回も何回も繰り返し読んで、少しは理解できるようになっています。

先に、のし付きの大きな箱に入ったお祝いの品の綿毛布が送られてきていたので、 それを面会するテーブルの上に飾っておきました。

約束の時間になると、お二人が立派な賞状を携えて訪ねて来られました。テーブルの前にお二人が座られ、その正面に母が座り、 その後ろに私たち夫婦が控えました。市役所の方が立派な賞状を母に手渡すと、母はその額縁を指して立派なものをとお礼を 言っていました。また、私が「これも戴いたんだよ。」と綿毛布を指して言うと、それを撫でながら、「これは、おいしそう。」と 言いましたが、妻が「母は語彙が少ないので、多分温かそうの意味だと思います。」と説明していました。

市役所の方が「今年米寿を迎えられる方は市内に4千名余りおられますが、この年代の人はみな戦争でご苦労なさった方々でして、 この方々のご苦労があって今の私達の幸せがあるのですよね。」と言われましたので、私が「母も北朝鮮(旧満州)からの引揚者です。 その時は大変な苦労をしたようです。」と話しました。すると、市役所の方が「この方々には是非、幸せな老後を送って欲しいですね。」 と言われましたので、私たちも頷きました。

また、民生委員の方が、「以前は80歳になられたらお祝いを差し上げていましたが、今は皆さん長生きされるようになられたので、 88歳と99歳の節目の年だけお祝いするようになりました。今度は、99歳の白寿の時ですので、それまでお元気でいられるように 頑張ってください。」と話されました。また同時に市からのお祝い金も下さいました。

私たちが交わっている間中、母はただ賞状を何回も何回も、声を出して繰り返して読んでいるだけでした。しかし、母にとっては 賞状をいただき、おめでとうと言われていることを何か良いことが起きているのだろうと、なんとなく感じているようでした。

その後、母の部屋に賞状を飾り、箱に入った綿毛布を置いておきましたが、母は箱から綿毛布を取り出し、早速使っていました。 まだ暑いだろうによっぽど嬉しかったのでしょう。

思い返すと、母は私たち3人の男の子を育てるために大変苦労をしてきました。父は仕事の関係で出張して、家を留守にすることが 多かったので、私たちが悪いことをした時には父親みたいに烈火のごとく厳しく怒りました。しかし普段は母親の愛で温かく包んで くれました。弟が熱を出した時には遠くの病院まで背負って駆け込んでくれました。今、小さい母親の姿を見ていると、どこにそんな エネルギーがあったのだろうかと思います。

身体も決して強くなかったので、本人は60歳まで生きられたら本望だと常々話していましたが、こうして母が米寿のお祝いを いただけるまで元気でいられたのは、妻がこのような母の健康を気遣い、老人性胃潰瘍が少しでも良くなるようにとブロッコリー等を 買い回ったり、胃腸に良い料理を苦心して作ってくれたお陰です。その他にも入れ歯を外したままの母が食べられるように、母の食べる ものは、別にして小さく切ったり、柔らかくしたりして手間を掛けて料理してくれました。また、ディサービス等に行くので、母の 下着から靴下まで母の持ち物すべてに名前を付けてもくれました。妻の献身的な働きには感謝しています。

また、3男も母のために自分の部屋を提供し、自分は居間で寝泊りしてくれました。私が外出して居ないときは母の着替えを させたり、ディサービスへ送りだしてくれたり等、受験勉強の貴重な時間を割いていろいろと応援してくれました。ふたりのお陰で 母が元気に、そして幸せに米寿を迎えることができました。ふたりには心から感謝しています。

あなたの父と母を喜ばせ、あなたを産んだ母を楽しませよ。箴言23:25

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