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071104

貧しさが与えてくれたもの

私は毎朝7時前から1時間、子供たちの安全登校のために街頭に立ちます。交差点の向かい角にごみステーションがあって、近所の 人々が家庭ごみを持って、そこに捨てに来ます。私の家のごみ捨て担当の息子もごみを持って来て、信号が変わると急いで横断歩道を 渡って、それをごみステーションに入れて、信号が変わる前に引き返してきます。毎朝山積みにされる大量のごみを見ながら、ふと 「昔はごみをどうしていたのかな」と考えました。

今から約半世紀前、私が小学生の頃は、もちろんごみステーションや、ゴミ収集車なんてありませんでした。また、そんなにごみが 出ることもなかったように思います。食べ物の残飯は飼っていた猫や鶏が毎日きれいに片付けてくれました。もちろんペットボトルなんて 物もありません。皆、ビンを持ってしょうゆやお酢を買いに行きました。また、エコバッグなんてなくても、買い物には竹や藁で編んだ 買い物籠を提げて行くのが当たり前でした。また、川向こうのお店の御用聞きが来て「奥さん、今日は何かなかったですか?」と声を 掛け、必要な物を届けてくれました。

もちろん、当時は買い置きなんてありません。食事の途中でしょうゆなどがなくなると、お隣同士で貸し借りしながらしのいで いました。決して豊かな生活ではなかったのですが、お互いに助け合うことによって、幸せを感じていました。

以前カンボジアのある地方に視察に行かれた方が、彼らの貧しい生活を見、また彼らの人手による非効率的な農業のあり方を見て、 帰国されてから皆さんに彼らの実情を訴え、もっと効率良く農業ができ、豊かになれるようにと稲刈り機や脱穀機等の農業機械を送って あげました。

そして、彼は数年後に彼らがどうしているか様子を見るためにカンボジアを訪れました。すると、農業機械は倉庫に置かれたままで、 彼らは依然として昔ながらの非能率的な農業をみんな総出で、続けていました。びっくりした彼は「機械はどうしたのですか。使い方が 分かりませんか。あるいは、故障しましたか。」と尋ねました。

すると彼らは、「機械の使い方は分かります、故障もしていません。しかし、私たちはみんなで協力して農業ができることが 幸せなのです。私たちは豊かになることよりも、みんなが働けることが嬉しいのです。」と答えました。

そのお話を聞いた時、「昔の日本のようだな。昔は決して豊かで快適な生活はできませんでしたが、みなが助け合って、それなりに 幸せだったな。」と思いました。私たちは豊かさを追い求めることによって、何か大切なものを置き去りにして来てしまったように 感じます。効率や能率を追い求め、より良い生活を追求するうちに、いつの間にか個人主義に陥り、お互いの愛は冷え、自己中心の 社会になってしまったように思います。

私はカンボジアに農業機械を送られた方々の思いやりや優しさに感謝します。しかし、これは私達が豊かさを追い求めてきた中での 価値観であって、彼らの幸せ感とは残念ながら合致しなかったと言うことだと思います。

今、食品の偽装問題等が次々に発覚して、大きな社会問題になっています。これらのことも、もっと豊かにの価値観によって生産者が 自分の豊かさを追及することによって、消費者が見えなくなってしまった結果だと思います。私たちは、ここで今もう一度原点に帰る 必要があるように思います。

金銭を愛する者は金銭に満足しない。富を愛する者は収益に満足しない。これもまた、むなしい。 財産が増えると、寄食者も増える。持ち主にとって何の益になろう。彼はそれを目で見るだけだ。働く者は、少し食べても多く食べても、 ここちよく眠る。富む者は、満腹しても、安眠をとどめられる。伝道者5:10〜12

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