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071111

愛することの恵み

先日、知能に重い障害を持つ人たちの施設、止揚学園から小冊子が送られてきました。その中にFさんが知人からいただいた手紙の ことが書いてありました。その内容に感動したのでその一部を次ぎに紹介させていただきたいと思います。

「先日、癌で天上に召された知人の手紙が、告別式が終わって2日後に届き、驚きました。その手紙に、いくつも心打たれる言葉が ありました。その一つに、『私が強い時、人に愛されると言うことを大切にしてきました。だから、他人から冷たくされると、その人に 憎しみを持ち、非難をして心を暗くし、生きることに疲れていました。病が重くなり、弱さを持つようになってから人を愛そうと思う ようになりました。不思議なことに、それからの私は、明るい笑顔が増えてきました。そして、愛されることより、愛することが 人間の一番の幸せと言うことを知りました。私は、間もなく神様の所に旅立つと思います。今、深い幸せを感じ、明るい心を持って います。だから、私がこの世を去るときは、涙ではなく、笑顔で送ってください。』と書かれていました。」

Fさんが、「愛されることより、愛することが人間の一番の幸せ」という言葉に深く教えられたと書かれていましたが、私も同じ ように、彼女の手紙を読みながら考えさせられました。私たちはいつも愛されたいと願いつつ、周りの人からの愛を求めて生きています。 そして、愛されているという実感が私達に安心感を与え、私たちを喜びで満たします。

しかし、人間の愛なんて頼りないもので、すぐ崩れてしまいます。自分がどれほど愛されるための最大限の努力を続けていても、 それが相手に正しく評価され、ひいてはそれが、自分が愛されることにどれほど結びつくかは、はなはだ疑問に感じます。いつか期待を 裏切られて、相手を裁いたり憎んだりしてしまうということは、残念ながら私たちがしばしば経験することでもあります。

それに比べて、愛することは相手の如何に関らず、自分の意志で決められます。たとえ愛が相手に上手く通じなくても、勝手に 愛することは自由です。相手の態度如何によって、振り回されることはありません。自分で愛することを喜んだら良いのです。見返りを 求めないで愛する愛は、神様がまず、私達に与えて下さった祝福です。したがって、私たちが見返りを求めないで愛する時、神様の愛が 私達を満たし、神が私達の心に喜びを注いで下さいます。イエス様ご自身が『受けるより与える方が幸いである。』と教えていますが、 愛においては特にそうだと思います。

それにしても、彼女が強い時は愛されることを思い、弱い時には愛することを思ったというくだりには、深く教えられるものが ありました。つまり、自分が強い時は思いやれなかった相手の痛みを、自分が病気等によって、弱さを体験する中で知ることができ、 それによって、周りに対する思いやりが持てるようになり、相手を愛することを心がけるようになった。その結果、自分の内に愛する ことによる喜びが湧き上がってくるようになったというのです。

私たちが神を愛したのではなく、神が私達を愛し、私達の罪のために、なだめの供え物として御子を 遣わされました。ここに愛があるのです。愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた愛し合う べきです。いまだかって、誰も神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私達の内におられ、神の愛が私達の内に 全うされるのです。Tヨハネ4:10〜12

神が私たちを愛してくださったように、互いに愛し合いなさいという言葉は、私たちが愛されることを求めるのではなく、愛する ことを意志するときに実現するのです。神様はあなたの如何に関らずあなたを愛しておられます。あなたが同じように周りを愛する ことを始めるとき、あなたの心の内に喜びがあふれるようになるのです。私たちも愛を実践することによって、この恵みを体験して みましょう。


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