071118
恵みを受ける
私は毎朝、街頭に立って、子供たちの安全登校を見守っています。するとその間に、大きな犬や小さな犬を連れて散歩する人々が たくさん通って行かれます。この人たちは決まって左手にビニール袋を持ち、右手に犬の首輪につけたロープを持って歩きます。そして、 時々飼い犬が立ち止まって糞をすると、それをすばやく移植ごて様の物ですくい上げます。先日は糞が地上に落ちる直前に、素早く ビニール袋を広げ、それを見事に拾いあげられた特技をお持ちの方もおられました。
私は、通る人々に度々、「毎朝大変ですね。偉いですね。」と温かい声を掛けていただきます。しかし、肌を差すような寒い日も強い 日差しの暑い日も、土日祝祭日も関係なく、犬を散歩させて歩いて回り、犬が糞をしたら処理して回られる彼らに比べたら、私の方は別に 歩いて回る必要もなく、糞を処理することもなく、休める日もあって楽なものだと思います。
先日テレビで面白い企画がありました。それは、犬の飼い主が犬との散歩中、突然倒れて動かなくなった場合、犬たちはどのような 反応をするだろうか。100匹の飼い犬を使って実験しようというものでした。
実験のスタート前、飼い主に「散歩中あなたが倒れて動かなくなったら、お宅の犬はどのような反応をすると思いますか。」と聞いて ]ました。すると決まって「家の犬は必ず、私を助けようとしたり、誰かを呼びに走ったりしてくれますよ。」と自信満々に答えます。
その言葉には、かねてから彼らが、彼らの愛犬に対して多くの犠牲と愛情を注いで来たことが窺われます。たとえ疲れていても、 忙しくても可愛い飼い犬の為に時間をとって散歩に連れて行き、糞を取ってあげ、病気になったら動物病院に連れて走り、食事にも太り 過ぎないように、また痩せ過ぎないように、常に愛情を注いで来られた自信なのでしょう。
しかし、結果は100匹中100匹とも、突然倒れて苦しむご主人を尻目に、それらの出来事には全く関心を示さないで、自分勝手に 遊んで回るだけだったり、食べ物をあさったり、ひどい犬になると、倒れているご主人におしっこをかけて行く不届きな犬までも いました。
後で、救助犬を使って同じことをすると、犬はすぐさま飛び出し、脇目もふらず、近所の家に行き、吠えて、家にいる人に訴え、 大人の人の袖口を噛んで、倒れている人の所に連れてきました。さすがに訓練された犬はすごいなと思いました。
もちろん、一般の飼い犬にそこまで期待するのは無理と言うものです。しかし、愛され大切にされてきた犬たちなのだからもう少し マシな対応をして欲しかったような気もしました。
以前「犬は3日飼えば、3年恩を忘れない。猫は3年飼っても、3日で恩を忘れる。」なんて言葉を聞きましたが、これも一般的な 飼い犬に関しては、ほとんど通用しないことが分かりました。
ところで、犬に見事に裏切られて、いささか拍子抜けの飼い主たちの方ですが、だからといって急に、邪犬いや邪険にすることは ないでしょう。きっと、以前のように犬を散歩に連れて行き、糞の処理をしながら、今までと同じように深い愛情を注いで行かれる ことでしょう。それはこのような実験に駆り出されたので、ついつい過大な期待を持ってしまっただけで、基本的には報いを求めないで、 ただ愛を注ぐこと自体に喜びと幸せを感じていたからでしょう。
これらのように報いを求めなくて、相手の如何に関らず、一方的に注がれる愛は、受ける方からすると、恵みと言われるものです。
天地の造り主なる神様は、一方的に私たちを愛してくださり、救われる価値のない罪に汚れた私達を、恵みによって救ってくださるの です。安心して主を呼び求めましょう。
あなた方は、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、 神からの賜物です。行いによるのではありません。誰も誇ることのない為です。エペソ2:8〜9