071202
幼稚園での飢餓のお話
長男と次男がお世話になった幼稚園で、世界の貧しい国の子ども達のお話をさせていただくことになり、少しでも恩返しができたらと 喜んで出掛けました。
飢餓の授業を小学校や中学校でさせていただいていますが、幼稚園では初めてです。小学校でお話させていただく時も、小規模校では 全校生徒参加というのがありますが、ほとんどの小学校では、お話が難しいだろうということで1、2年生を除いて行われてきました。
したがって、さらに小さい幼稚園の3〜5歳の子ども達にどのようにしたら、飢餓の実情を伝え、関心を持ってもらえるか多少不安な 気持ちがありました。
当日幼稚園に行き、懐かしい園舎を見ていると子供たちが通っていた20数年前の記憶がよみがえってきました。狭い園庭での 運動会で、障害を持った子どもを他の子ども達が一生懸命フォローしている姿など鮮やかに思い出されました。妻が「そうそう、あのね。 当時ここにMちゃん(次男)がよく正座させられていたのよ。よっぽど言うことを聞かなかったんだね。」と話しかけてきました。 お陰様で今では立派な青年に成長できました。
愚かさは子供の心につながれている。懲らしめの杖がこれを断ち切る。 箴言22:13
さて、園舎に入り会場に着くと、子ども達が元気な声で歌っていました。以前に比べて、子ども達の数は半分ほどに減っているけど、 元気さは増しているように思えるほど大きな歌声でした。しばらくして、「世界の国の子ども達」という8分ほどのビデオをセットして、 お話に入りました。まず、子ども達の関心を食に持っていくために「君たち、食べ物で何が好き?」と問いかけました。すると、 いっせいに大声でそれぞれが好きな物を叫び始めました。余りの声の大きさにほとんど何を言っているのか聞き取れません。「分かった。 分かった。はい静かにして」と言って声が収まるのを待つと最後の方にやっと「かき」「みかん」「おくら」と言う声が聞き取れました。 「エッ、おくら」と思いながら、お話を始めました。
「世界には君たちみたいに好きな物を食べられる子ども達は5人に1人位しかいないんだよ。君たちはいろいろなものを食べられて 幸せだね。」と話しながらビデオを流しました。
最初はペルーのストリートチルドレンが出てきました。子ども達が生きていくために、車の所に走って行き、窓を拭いてわずかな お金を受け取ります。それで、食べ物を買って食べて生活しています。中には栄養失調で顔に白い斑点ができている子供もいました。
次はインドで住む家がなくて路上で生活している人々の映像を見ました。朝になるとそのまま亡くなっている人もいるかわいそうな 現状を、時々ビデオを止めながら話しました。次はフィリッピンの子ども達がごみの山に入って、ビンやビニールを集め川で洗っている 状況が映し出されました。ごみの山は悪いガスが出ていて体を壊すこともあるとお話しました。
また旱魃の中にいるエチオピアの子供が食べ物がなくて、お腹をすかして、ひもじさを満たすために柔らかい石を拾って食べている 映像も見ました。そして、最後にはバングラデシュの子供飢餓病棟で死ぬ前の痙攣が来て、死んでいった幼い子供が写しだされました。
この子供は日本円でたった5円のミルク代がなくて死んでいったという話をしました。そして、私達のできることを考えようと言って お話を終わりました。子ども達は思ったより真剣にビデオを見、お話を聞いてくれました。自分のことしか見えない小さい子ども達が 世界で起きているいろいろな出来事を知ることは大切なことだと思いますし、また自分たちが、どんなに恵まれた環境にいるのかを 知ることも重要だと思います。この幼稚園では子ども達がお家のお手伝いをして、貯めたお金をみんなでこのような貧しい国の子ども達の ために送る働きもしており、多くの子ども達が積極的に関わっていました。
世の富を持ちながら、兄弟が困っているのを見ても、哀れみの心を閉ざすような者に、どうして神の 愛がとどまっているでしょう。子ども達よ。私たちは、言葉や口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうでは ありませんか。Tヨハネ3:17〜18