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080106

正月の思い出

千葉から帰ってきた長男夫婦と孫とに囲まれて、新しい年を迎えました。私も、ついに今年は還暦を迎えますので感慨もひとしおです。 思えば小さいころ『ことし60のおじいさん、歳はとっても、・・・』と船頭さんの歌を大声で歌っていたことを思い出します。

ところで、お正月になるといつも思い出す苦い出来事があります。あれは多分、小学校の3、4年生の頃のことだったと思います。 お年玉として貰った800円を握り締めて、町の唯一のおもちゃ屋さん、といっても写真屋さんの片隅にできた3畳ほどの店内におも ちゃが鈴なりに掛けられていた、に行きました。

私のほかにも何人かの子ども達がお年玉を握り締めておもちゃを物色していました。私も彼らに混じっていろいろなおもちゃを手に とって見ているうちに、かっこいいモーターで走るボートが目に留まりました。そこで、ぶら下がってる値札をそっと見てみると 『800円』とボールペンで書かれてありました。

貰ったお年玉で買えないことはありませんが、これを買うといっぺんに全部が無くなってしまいます。小学生の子供には高すぎる 買い物だと躊躇しながらも、「お年玉は、私が貰った、自由に使える、自分のお金だ。好きな物を買って、何が悪い。」と居直って、 そのモーターボートとお年玉をお店の人に差し出しました。

ケースに入ったモーターボートに時々目をやりながら、それを大切そうに抱えて、「兄も弟もきっとこれを欲しがるだろうな。」と 想像しながら意気揚々と家に帰りました。

家に着くとまず母がそれを見つけて、「それは何なの?」と聞いてきました。私が「船だよ。」と言うと、「幾らしたの?」と 聞きます。少し気が引けながら小さい声で800円と言うと、「エッ、800円!?お年玉全部使ったの?」と言って、見る見る母の形相が 変わってきました。お年玉をあげたその日に、それを全部使ってくるなんて夢にも思ってもいなかったようで、計画性の無い、金遣いの 荒い私に仰天した様子です。

それから、説教が始まりました。怒られながら、自分のお金をどう使おうと自分の勝手なのに、なぜ怒られなければいけないのか 測りかねながら、ただ怒りのおさまるのを反省している体をしながら待ちました。しかし、母としてはこんな金遣いの荒い、考えのない 私をしっかり戒めておかないと、将来大変なことになると心配したようです。

それから数ヶ月して母に異変が起こりました。「この前は怒ってごめんね。」と言ってくるではありませんか。私としては狐に つままれたような気分です。真意を測りかねていると、母はあれから、兄と弟の様子もじっと見ていたようで、二人のお年玉も、少し ずつ減って行き、結局は無くなってしまったのを見て、「最終的に形として残っていたのは私のボートだけだな。」と思ったよう なのです。私も分かってもらってホッとしました。

しかし、今冷静に考えると、あれはあくまでも、やっちゃいけない衝動買いで、戒められて叱られるべき出来事だったと思います。 あのころから私の計画性の無い、行き当たりばったりの生き方が始まっていたように思います。

愚かな者が思慮も無いのに、知恵を買おうとして、手に代金を持っている。これはいったいどうした ことか。箴言17:16
勤勉な人の計画は利益をもたらし、全てあわてる者は欠損を招くだけだ。箴言1:5

私たちはやがて神の前で全ての人生を清算する時が来ます。私達に与えられた財産も神から管理を託された預かり物であることを覚え、 正しく使えるようにしっかりした計画を持って歩みたいと思います。


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