080127
紅梅に励まされて
ラニーニャ現象で今年は寒い冬になると言われ、寒がりの私はそれなりの覚悟をしていましたが、思いのほか温かい過ごし易い日々が 続き、幾分ほっとしています。しかし、それでもやっぱり冬、どことなく物悲しい景色になっているのは、致し方ありません。
私が毎朝子ども達の安全登校のために立っている交差点のすぐ後ろに朝市があり、そことの境に数種の木々が植えられています。 そこにある白梅の木は、今は枯れた木のように、こげ茶色の木肌のところどころに白い斑点のようなものが付いていて、花はおろか一枚の 葉さえも付けていません。それを見ていると、寒々とした気分にさせられます。
しかし、一方数メートルほど離れたところに植わっている紅梅の木には、濃いピンク色の花が今にも零れ落ちそうに満開に咲き誇って います。それを見ると、春がもうそこまで来ているのが感じられ、温かい前向きな気分にさせられます。ですからどうしても、そちらの 木のほうに目が向いてしまいます。
それを見ながら、私達の人生の歩みも一緒だなと思いました。否定的で不平不満のほうに目を向けていると、気が滅入って何にも 希望がないように思われてきます。しかし、努めて明るい方を見ていると気分が高揚してきて、すべてを前向きに考えられるように なってくるものです。
三男が小学4年生のころ、学校で面白くないことがあったようで、不満顔をして帰ってきたことがありました。そこで私たち二人で 『良かった探し』をすることにしました。今まで楽しかったこと、嬉しかったこと、何でも良かったと思うことを出し合って話すように しました。
彼もいろいろ考えながら『あの時は楽しかったね。』『あれは良かったね。』と思い出す限り話始めました。すると見る見る表情が 明るくなり、喜びであふれた顔をして遊びに飛び出して行きました。
ともすると、私たちはたくさんの良いことには目を向けないで、わずかなマイナス面だけを見て不平不満に明け暮れてしまいがちです。 暗い方を見ることは私達の喜びを縛り、幸せな人生を遠ざけてしまいます。
たとえば、新築のマイホームを造られる方は、まだ土台の整備が終わったばかりとか、骨組みが出来たばかりでも、すでに完成した 我が家を想像して、喜びと希望にあふれ出来上がるまで何回も見に来られます。そして、完成と同時に最高の喜びの顔をして引っ越して 来られ、新居に入居されます。
しかし、その喜びも長くは続きません。しばらくすると、台所が使い難い、お風呂がどうだ、間取りがどうだ、駅が離れて不便、等々 それなりの不満が出てきて、ぶつぶつ言いながら生活してしまいがちです。しかし、残念ながら不平不満の中から喜びや幸せは 生れてきません。
私達の視点はいつも下向きで、良いことより悪いことのほうに敏感です。ですから、意識して視点を変え、喜びと感謝のほうに目を 向けて歩み始めないと祝福は流れてきません。
私はお祈りをする時、まず良いことを探し出し感謝することから始めます。すると自分が如何に恵まれ祝福された環境にいるのかが 見えてきて、心が喜びと感謝で満たされるようになり、祈りが楽しくなってきます。喜びに目をとめることは私達を前向きにし、 幸せな人生を形成していく原動力になって行きます。
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて、感謝しなさい。これが、 キリスト・イエスにあって神があなた方に望んでおられることです。Tテサロニケ5:16〜18