080224
成熟期
喜入町の成人学級、婦人学級の合同の閉校式での講演を依頼されて喜入地区公民館に妻と出かけました。会場に入ると明らかに 私よりかなり年配と思える方々が30〜40人椅子に座り開式を待っておられました。
その中には、私の知らない顔の方もたくさん居られましたが、向こうは、お前を知ってるぞ、というような顔をして親しげにこちら を見ておられました。(多分「緑のおじさん」として知っておられるのだと思います。)
講演の題は聖書の御言葉から『白髪は光栄の冠』という題にしました。初めに「村の渡しの船頭さんは、今年60のおじいさん。」 と歌い、「みなさん。60歳でおじいさんですよ。」と言うと、みな一斉に笑いました。そして、「皆さん。この歌は明治時代や 江戸時代の歌ではなく、私が小さい頃まで盛んに歌われていた歌です。私はこの船頭さんと一緒で今年60ですが、皆さんの前に立つと まだまだ青二才です。」と言いました。
現在では60歳はまだまだ若造です。とは言っても、私たちはみんな例外なく、年々年を取り、記憶力も衰えてきます。私の先輩の 牧師は、「若いころは聞いたらすべて覚えていた。しかし、そのうちに要点だけでも書かないと忘れるようになり、次には要件全部を 書かないと忘れるようになり、最後は書いた紙を忘れるようになった。」と言っておられましたが、私もまさしくそうだと頷ける 年代に入って来ました。
ツウルニエという人が人生を20年ずつに区切って、次のように分類しました。
0〜20歳 ;準備期間
20〜40歳 ;活動期間
40〜60歳 ;収穫期間
60〜80歳 ;成熟期間
大正時代は平均寿命61.5歳で収穫期を過ぎると1.5年しかありませんでした。しかし、いまや60歳以降に20年もの期間が あり、人生の4分の一にもなります。もう、余生なんかではなく、立派な本生になってしまいました。
ですから、現在は成熟期間を如何に有意義に過ごすかが、その人の人生を大きく左右するようになってきました。したがって、 成熟期の人々が、もう年だからと消極的な生き方をするのではなく、前向きに、積極的な生き方をすることが必要になってきたのです。
先日は北京オリンピックの馬術に日本代表で67歳の法華津(ほけつ)選手が正選手として出場されることになりました。 彼は60歳過ぎて、定年してからオリンピック選手を目指し、頑張りました。どこまでも前向きで、励まされます。
まっ、私たちはそこまでは行かないまでも、老いを生かす積極的な人生を生きる必要があります。60歳を越え成熟期に入った 人々は、最も経験や知識、それに知恵も豊富な人々なのです。人生の苦しみ、つらさ、また甘さ等の経験を積み重ねてきた老年こそ、 人生で最も豊かな生き方ができる時期なのです。したがって、社会が成熟期の人々に期待されているものは大きなものがあるように 思います。
講演の最後に、「皆さんこそ、仕事や子育てに追いかけられ、余裕がなかった活動期や収穫期の忙しさから解放され、自由に 活動出来る時間や精神的ゆとりを持っておられます。今、他者や社会に対して素晴らしい貢献ができる最高の時を迎えています。 有能で時間的余裕がある皆さんが知恵を出し合って、喜入町を名実ともに喜び入る町になれるように素晴らしい街づくりに貢献して いただきたいと思います。」とチャレンジして講演を終わりました。
あなたは白髪の老人の前では起立し、老人を敬い、またあなたの神を恐れなければならない。 わたしは主である。レビ記19:32