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080302

へりくだる者

先日何気なく見たテレビで、車に轢かれそうになったご主人を助けるために、とっさにご主人と車の間に入り犠牲になった 盲導犬の話をしていました。ご主人を守るために自分の命を犠牲にするなんて人間にも到底真似ができない素晴らしい行為だな と思って見ていました。

盲導犬は目が不自由な人を助けるために献身的に働いてくれます。ご主人と共に歩いている時、道端に食べ物が落ちていても、 排尿や排便をもよおしても、あるいは他の犬が吠えかけてきても、全く動じないで自分の任務を全うします。さらには、都会の雑踏でたとえ足を踏まれても声を出さないでご主人を安全に誘導することのみに専念するというのです。 その素晴らしさには頭が下がります。

「人間様だぁ」と威張ってみたところで、少しのことで痛いだの、痒いだの、お腹がすいただのと、いつもぎゃあぎゃあ言って、 不平不満をならべている私たちとは比べものになりません。恥ずかしい限りで、少しは見習いたいものです。

神が人間を造られた目的は、人が神に従順して、すべての生き物や地球環境を正しく治めるためであり、住みよい社会環境を 造るためでした。それが高慢になって、神を認めなくなり、自分勝手に生き始めた結果、戦争や紛争が起こり、人間社会のみならず、 すべての地球環境にまで悪影響を及ぼすようになってしまったのです。

創造主なる神様は平和で住みよい環境を造るため、謙る者に恵みを与え、仕える者を祝福すると言われます。私たちも盲導犬に ならって、謙って仕える者になりたいと思います。

謙ると言えば、いつも思い出す一人の方がおられます。それは、私が学校を出て会社に入社した時のことです。会社には鬼軍曹 みたいな強面の上司が一杯いて、○○君と呼ばれるだけでなく、時には○○と呼び捨てで呼ばれて怒鳴られたりしていました。 もちろん、その時のご指導には今でも感謝しています。しかし、そのような中にひとりだけ新入社員で、仕事に関しては右も左も 分からない若造の私にまで、○○さんとさんと付けで呼んでくださり、しかも敬語で丁寧に接してくださる課長さんがおられました。

最初は少し奇異に感じましたが、しばらくすると怒鳴り散らす上司の中でひときわ目立って、尊敬すべき立派な上司として 受け入れるようになりました。そして、私もあのような上司になりたいと憧れるようにもなりました。

しかしやがて、自分にも部下が出来ると、極普通に君付けで呼び、たまには○○と呼び捨てにして怒っている自分を発見し、 謙ることの難しさを痛感しました。

そのような中で、創造主なる神様を知り、そのような私を愛して受け入れてくださる神様の存在を知って、洗礼を受けました。 それからは自分に幾分かは余裕が出来、いつも平安でいられるように少しずつ変わってきました。

会社では月末になると、いつも予算との戦いで、みな余裕がなくなって悲壮感を漂わせながら走り回っていました。 そのような中で、私がニコニコしながら仕事をしている姿を見た人々から『いいな。おまえの所は予算が行って。』と羨ましそうに 話しかけられることがしばしばありました。しかし、現実は予算が行っていないということもたくさんあったのです。

そのような中でも、心には何故かゆとりがあり、どのような状況下でも、みなに優しく接することが少しずつ出来るようになっ て来たのです。

今でもまだまだ不十分ではありますが、神様を信じたときから神様が徐々に私を造り替えてくださっておられることを感じます。

私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。 神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。エペソ2:10

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