080323
脆弱な社会
都会でコンピューターの誤作動や故障によって地下鉄がストップしたり、飛行機が飛ばなくなって、多くの人が足止めを食らってしまったという ニュースが時々飛び込んできます。
小さなコンピューターのちょっとした誤作動で、すべてが麻痺して、こんなに大勢の人が振り回されてしまうって、便利さと不便さが同居している不思議な 社会だなと思いながらも、そのようなコンピューター社会の出来事を、地方に住む私とは少し距離を置いて眺めていることが多かったように思います。
しかし、先日パソコンを使って朝の祈祷会の賛美の歌詞を映し出し賛美した後、夜の賛美集会のために使おうとしてパソコンを開こうとしたら、どうしても 画面が表示されません。「あれっ、どうしたんだろう。」と思いながらも、その内良くなるだろうと思って放っておき、後であれこれいじって見ましたが、 一向に良くなる気配がありませんでした。
次の日、慌てて電気屋さんに駆け込んで、見て戴きましたら、良くなる可能性はほとんどなしとの見解でした。さ〜て困りました、パソコンがないと 週報が作れません、メッセージ準備も思うように行きません。毎週更新している教会のホームページも入れられません。教会活動が完全にストップして しまいます。躊躇している暇はありません。教会活動が停滞しないように、即新しいパソコンを買って帰りました。
後日、修理会社からパソコンは修理不能で、中のデータも全くとりだせなかったとの連絡をいただきました。1年数か月間の週報および、礼拝メッセージを 含むあらゆるデータが完全に消失してしまいました。今となってはデータを小まめにバックアップ(パソコン以外に保管)していなかったことが悔やまれます。 そして、改めてパソコン頼りの教会の体質を考えさせられました。
振り返るに、教会開設当時はパソコンなんて、もちろんありませんでした。週報を作るにも、手書きの文章に本から切り取ったイラストをあちこちに 張り付けてコピーして作っていました。時間は今の何倍もかかっていましたが、それなりに風情がありました。
また、賛美も模造紙に大きく書いた歌詞を二人が両側から持って、一枚一枚めくって歌っていたことを懐かしく思い出します。メッセージも今みたいに 簡単にパソコンに打ち込んでプリントすることができなかったので、話の要点だけ紙に書いて後は必死で頭に入れてお話ししました。
それが今では、週報づくりも簡単になり、メッセージ準備も楽になり、賛美の歌詞も簡単にきれいに映し出せるようになりました。それに、毎週更新される ホームページ上の「今週のひとこと」も多くの人に見てもらえるようになり、喜ばしい事がいっぱいです。しかし、コンピューター社会の現代は、一つ間違えば すべてが止まってしまう脆さをも併せ持っていることを、今回のことを通して痛感させられました。
また私たちが、私たちを生かしておられる神様を知り、神様の御言葉に従わない限り、私たちの造り上げた素晴らしいものはすべて砂上の楼閣となって しまうという以下の御言葉をも、併せて強く痛感させられた一週間となりました。
また、私のこれらの言葉を聞いてそれを行わない者は皆、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。 マタイ7:26〜27