080504
神の前に富まない者
鹿児島市街から喜入町に走る海岸線の2車線の道路を、途中まで4車線に広げるための工事が始まっています。確かに、日曜日や祝祭日は指宿方面から 鹿児島市方面への車が渋滞して、のろのろ運転が続き、辟易します。しかし、ガソリン税が上がるぐらいなら、多少不自由してもいいかなとも思います。
このたびの暫定税率廃止によって工事がどうなるのかなと思ってみていましたが、一部では続けられているようで、工事の車が出入りしているのが見え ました。
すでに、道が通る予定のところにある家々は取り崩され、整備されて更地になっています。
しかし、そこにはあっという間に木々が生えてきて、一面を草が覆ってしまいました。植物の凄まじい生命力を見る思いがします。そして、それぞれの 植物が自分のテリトリーを広げ、さらに繁栄して行こうと競い合っているように見えます。
しかし、暫定税率が復活し、道路特定財源がつぎ込まれ、立派な道路が敷かれるようになると、確実にこれらの草木は一掃される運命にあります。彼らが いくら彼らの世界で権力闘争を繰り広げても、結局は人間の思惑によって如何様にもされてしまうのです。
同じように人間社会も地位や名誉や財産を求めて、常に闘争しています。会社間の争い、また同じ会社内での権力争い等、みな常に競争社会の中を奔走 しています。そのようにして、目先のことで一喜一憂しながら生きて行くのが世の常になっています。
それは、人々の成功の評価の基準が、まず財力にあるからです。野球選手の年俸等はその額の大きさによって明らかに序列がつきます。契約更改の時期に なると、誰々が何億で契約したのかが新聞紙上を賑わします。そのほか長者番付で、どの芸能人が、あるいはどの企業マンがたくさん稼いでいるかが発表 されます。そして、それがその人の成功度、ひいては価値を表しているのです。
もう一つの評価は地位や名誉であり、周りに対する影響力です。政治家や大学教授や作家など、世の中に対する発言力が大きい人がいます。「鶴の一声」や 「天の声」などと言って、絶対的な権力を有する人が出てきます。世の中はそのような人もまた、成功者としてみるのです。また近年盛んに言われる勝ち組、 負け組と評価されるのも、これらの基準よるところが大きいのではないかと思います。
しかし、これらの評価も所詮は人間の内々の評価で、道路敷設予定地にはびこる草木と何ら変わりないように思います。草木がやがて人間の思惑によって 刈り取られるように、人間的評価つまり地位や名誉や財産とは全く関係なく、最終的には神様の基準によって裁かれてしまうのです。
イエス様は聖書の中で次のように言われました。「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人の命は財産に あるのではないからです。」そして、愚かな金持のたとえを話されました。「金持ちがたくさんの財産を貯めて、自分の魂に向かって言います。『魂よ。 これから先何年分もいっぱいものがためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。』
しかし、神は彼に言われた。『愚か者。お前の魂は、今夜お前から取り去られる。そうしたら、お前が用意したものは、いったい誰のものになるのか。』 自分のために蓄えても、神の前に富まない者はこの通りです。」
人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし、主の言葉は、とこしえに変わる ことがない。Tペテロ1:24〜25
人生で最も重要なことは、まず支配者なる神の存在を知ることです。そして、次に神の御言葉に従順すること、すなわち神の御心にそって聖く正しく 歩むことなのです。