081123
人生の目的
「人生の目的は何なのか?」「人は何のために生きるのか?」。これは子供たちが思春期になって、純粋に疑問を持って、先生や親によく尋ねる質問です。すると 決まって、「そんなことを考えている暇があったら、勉強しなさい。」と言われてきたものです。
しかし、これは人が生きていくためには、絶対に追及しないといけない重要な事柄です。目的のない人生は何にも意味がないのです。人は目的を持ち、その目的に 向かって努力するときに、忍耐することができ、生き甲斐を感じて成長することができます。
学生だったら、どこの高校、大学、会社に行きたい等目標を持ちます。会社に入っても部長になりたい、店長になりたい、社長になりたい等の目標に向かて忍耐を もって努力します。一方「私には目的や目標はありません。一生、派遣社員やニートでいいのです。」とは誰も言いません。
しかし、それらは皆人生の途中の目標です。大切なのは、人生自体の目的、目標が何かです。
昔から多くの哲学者や科学者、知識人がそのことを探求してきました。しかし、だれ一人その疑問を解決できないでいるのです。芥川龍之介、太宰治、川端康成、 そのほかたくさんの人々が「人は何のために生きるのか。」を追及し、結局は生きるために絶対必要なそれを解決できないで、人生に意味を失い、その中には、自殺して しまう人もたくさんいました。
たぶん、先生や親がその疑問を考えることをやめさせたのは、このような背景があったからだと思います。つまり、「そんなことを真剣に考えたって、答えは見いだせ ないのだから。結局は、人生をはかなんで、死ぬしかなくなってしまうよ。」との思いだと思います。
それでは、本当に人生に目的はないのでしょうか。私たちはただ偶然に生きているだけで、警察に捕まらなかったら、どんなことでもしていいのでしょうか。人生に 目的がないのだったら、ただ面白おかしく人生を楽しんだらいいのでしょうか。
もし人生に目的がなく、人間が偶然に生きているのだったら、真面目に生きる必要はありません。周りの人にどれほど評価されても、あなたも死に、周りの人も死んで いき、そのうちにあなたのことは忘れ去られてしまいます。それはむなしい人生です。
それでは、人生に何か目的があるのでしようか。ロシアの小説家、アンドレ・ビトフは、人生の目的を考えても、それを見いだせず、人生に何の意味も希望も見出せ なくなってしまいました。その時、彼の頭に「神がおられないなら人生には何の意味もない」というフレーズが現れたそうです。彼がそれを頭の中で何回も繰り返している 内に、彼は光の中に歩き出していたのです。
それは私たちの人生の目的が、私たちの内側にあるのではなく、外側にあるからです。つまり、神様が人間を、目的を持って造り、生かしておられるからです。神様の 側に人間を作った目的があり、あなたを造り生かしておられる目的があるのであって、あなたの内にはありません。
私の小さいころ好んで読んだ漫画に鉄腕アトムというのがありました。あれでアトムがいくらロボット人生の目的を見出そうと努力しても、知ることはできません。 それを知るためには、お茶の水博士に聞くのが一番です。「私をどのような目的で造られたのですか?」と聞けば、簡単明瞭一発で分かります。ですから、哲学等の 思索によって目的を見出すのではなく、私たちは、神の啓示によって、初めて人生の目的を知ることができるのです。
神様は人間を神の愛の対象として造られました。どんな人でも神によって愛されています。そして、神様は一人ひとりに、目的を持って造ってくださいました。私にも 神の目的があり、あなたの人生にも神のご計画があります。私たちはその目的に沿って生きる時に最高に生かされるのです。神は天地万物を造り、また、あなたをも造り、 目的を持って生かしておられるのです。あなたの造り主、主を知ることから始めましょう。あなたの人生が生き生きとした希望に満ちあふれたものになります。
あなたを贖い、あなたを母の胎内にいる時から形造った方、主はこう仰せられる。「私は万物を造った主だ。私はひとりで天を張り 伸ばし、ただ、私だけで、地を押し広げた。」イザヤ44:24