081221
なぜ救い主が来られたの?
クリスマスには救い主の誕生を世界中でお祝いし、喜び合います。しかし、救い主が来られたことを喜ぼうにも、まず果たして私たちには救いの必要があるのか どうかの問題があります。
あるとしたら、救い主は私たちを何から救おうと言われるのか?救い主が来られて、私たちに何をしてくださったのか?それによって、私たちがどのような恵みを 受け、どのような変化が起きるのか?これらのことがはっきりしないと、クリスマスをただ単純に喜ぶことはできません。
それでは、まず私たちに救いが必要かどうかを考えましょう。ほとんどの人が自分は救いが必要だということを認識していません。それなのに「メリークリスマス」 なんて救い主の御降誕を祝って、喜び騒いでいるというのは非常に滑稽な姿です。
それでは救い主は何から私たちを救おうと言われるのですか?それには、この世が悪魔の支配下にあるということを知る必要があります。この世界に病があり、悩み 苦しみがあり、憎しみやねたみがあり、死があるのは私たちが悪魔の支配下にあるからです。
私は小学校5年生の頃、この空気が無臭だということに疑いを持ち始め、一つの仮定をしてみました。例えば、何かの匂いがする所にしばらくいたら、そのにおいを 感じなくなります。人類が誕生してから、ずっと同じ匂いのもとで生活していたら、きっと匂いを感じなくなって、匂いがないと言うだろう。だからただこれは人間が 無感覚になっているだけであって、本当は何かにおいがあるのではないか?しかし、残念ながら、これは後に科学的に間違いであることが分かりました。
しかし、これとは違って、人類が誕生してからずっと憎しみや恨みがあり、病や死があり、殺人や戦争があるのが当たり前だと思って生活していたのが、実は違う 悪魔の支配下にあるからこのようなことが起きているのだということが分かり、本当は神様がおられ、神様は私たちが平安と喜びとを持って幸せな人生を歩むように 造られたのだ、ということを知ったら、人間には悪魔の支配からの救いが必要だと知るようになるでしょう。
そのためにはまず、神様がおられること、神様が人間を創造し、人間を愛しておられ、人間に平安と喜びの人生を与えたいと願っておられることをご自身で表す必要が あります。そのために、神の御子が人となって生まれて来て下さって、神の存在を示して下さったのです。
いまだかって神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。 ヨハネ1:18
しかし、ただ神様がおられることを現わすためだったら、神様が人となって生まれてこなくても、天に現われて、私は神であると宣言したらいいのではないか。 しかし、神は愛であり、すべての人は神によって愛されているということを具体的に示す必要があったのです。
愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。 愛のない者に、神はわかりません。なぜなら、神は愛だからです。Tヨハネ4:7〜8
しかし、神が愛しておられるだけですべてがうまくいくわけではありません。それは人がサタンの支配下にあるからです。救い主はその支配から神の愛の中に移し 替えるために来られたのです。したがって、神の本当の愛が示されるのはこれからです。
神はそのひとりごを世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させて下さいました。ここに、神の愛が私たちに示されたの です。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物として御子を遣わされました。ここに愛があるのです。 Tヨハネ4:9〜10
すなわち、クリスマスは神の御子が人となって生まれて来て下さって、人の罪の身代わりとなって十字架につき、罪を解決し、私たちを悪魔の支配下から解放して くださって、平安と喜び、将来と希望を与えてくださったことを喜ぶ時なのです。